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三菱ダイヤモンドカップゴルフ 2004

三菱ダイヤモンドカップ2日目94年の日本プロで得た複数年シードも今年限り、正念場を迎える合田洋が首位タイ

実はここ“大洗”で、初の予選突破だ。93年、96年の今大会も、98年の日本オープン も、「大洗でやった試合はこれまで全部、予選落ち」だった。
研修生時代、所属していた近隣の龍ヶ崎ゴルフ倶楽部も、同じ井上誠一氏の設計だっ た。その関係で、ここ大洗でも、数え切れないほどのラウンドを繰り返してきた。 コースの隅々まで知り尽くしているからこそ、同じくらいに、そこに潜む恐ろしさも 知っている。
「まだ、回られたことのないみなさんは、ぜひいちどここでプレーしてみてくださ い」と、合田は真剣な顔で訴えた。
「『自分はけっこう上手いほうだ』と思っている人も、必ずギャフンとやられます。 1ホールでも気が抜けない、回れば回るほど自信を失くすのがここ大洗。僕にとっ て、日本一苦手なコースだといっていい」。
2日間で6アンダーにも、威勢の良いコメントは出てこない。「まだ残り2日あるし、 いつ、何が起きても不思議じゃないから」。首位タイでの決勝ラウンド進出も、淡々 と、受け止めている。
94年の日本プロでジャンボ尾崎を退けてツアー初優勝。当時、同大会のチャンピオン には、10年間のシード権が与えられた(現在は5年間)。
周囲からは、「いいな、10年も試合に出られて」と、うらやましがられた。もっとも なセリフだと思う。1勝もできずに終わる選手も多い中で、自分は幸せだ、とも思 う。しかし、その一方で、それが苦難の道への入り口にもなったと感じている。
「つらいことばっかりだった・・・」と思わずつぶやいた。たとえ成績不振でも、毎 年、毎週、試合は続く。プレーフィー、キャディフィー、宿泊費、食費・・・。「精 神的にも、金銭的にも、つらいことばかりだった」。それでも、がむしゃらになっ て、目の前の1ショットに懸命に打ち込んできたこの10年間だった。
その10年シードも、今年限りで時効になる。2004年は、まさに正念場。しかし、 「シード権の保持については、意識してない」と合田は言った。「むしろ、これで楽 になれる、ダメなら、もう一度、QTから行けばいいって思っているから」。複数年 シードの呪縛から逃れて、いちからの出直しも覚悟している今シーズンだ。

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