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「紫色の飛行機雲を残して旅発ったジャンボさん」エースキャディ佐野木さん弔文
より近しい人々の口から語られるジャンボさんはいっそう人間味に溢れていた。
3月16日に行われた「お別れの会」で、弟の尾崎健夫と直道が明かした。
3きょうだいで久しぶりにじっくりと話をしたのはジャンボさんが亡くなる1週間前。
「あんなに饒舌にね…」と、健夫が驚きを持って聞いたのは、ジャンボさんが出身の徳島県・海陽町に、すでに墓を建立していたことだ。
プロ野球からプロゴルフへの転向に伴い、千葉県に拠点を移したが、「心は宍喰(現・海陽町)にあったんだ」と、健夫。
「僕も驚きました。よほどあそこに帰りたかったんだな」と、末弟の直道も声を揃えた。
本名の正司から、将司への登録名変更についても聞いた。
健夫が、「にいやんはいつから将司にしたの?」と尋ねると、「ゴルフをするときは将司で、今は正しいほうの“まさし”に帰ったんだ」と、答えたという。
「ほんとにもう自分の思うまま、欲するまま、戦い続けた人生だった」と直道。
「最期の顔は静かな感じで、本当にお釈迦様みたいな顔に僕は見えた。生きながら仏になっていったと、そんなふうに感じました」と、直道が振り返ると「僕も同じです」と、健夫。
合わせて141勝を誇る尾崎家3きょうだいにとっても惜別の日となった(※ジャンボさん=レギュラーツアー94勝、健夫=15勝、直道32勝)
エースキャディをつとめた佐野木計至さんは、16日のお別れの会で青木功と共に、弔辞を読んだ。
小・中・高の幼なじみで、佐野木さんが1歳下。1964年の春の選抜高校野球では、共に優勝を掴んだジャンボさんを「ジャン兄(にい)」と呼びかけ、在りし日を語り尽くした。
歌でもなんでも一番でないと気が済まなかったというジャンボさん。
2人して勝ちまくった。
「栄光の写真が家に一杯ある」と、佐野木さん。
特に、最後18番の逆転イーグルで栄光を掴んだ1995年のダンロップフェニックスは、「今までの日本ゴルフ界の中でも一番いいシーンじゃないか」。
勝負事にどん欲な反面、不器用な一面も。
「人に媚びない。世渡りが下手。もうちょっと上手に行ったらな…」と、佐野木さんが隣で感じることもしょっちゅうだったが、「自分で言ったことは必ず実行していた」と、誰よりも誠実な人柄もいちばんよく知っている。
最期の別れとなったのは、昨年の12月。
ジャンボさんが呼んでいる、と聞いて駆け付けた。
開口一番、「ダイエット、成功しとんね」と、明るく言ったつもりだったが、やつれた姿に胸が詰まった。
地元・徳島の思い出話で盛り上がったが、次第にジャンボさんの症状は悪化していった。
「ちょっと話が途切れたら目をつぶっていく。1分や2分でも、空白がものすごく長かった」という。
「また担ぐからね」と、佐野木さんが声をかけると、握手を求めてきたというジャンボさん。
「優勝してもハイタッチするくらいで。今までジャンボと握手なんかしたことなかった。あれはつらかった。涙がポロポロこぼれました」。
別れの瞬間は、思い出してもまだまだ悲しい。
ジャンボさんが自ら建立したというお墓は、佐野木さんの自宅から、100ヤードもないという。
「朝、昼、晩、と会いに行ける」。
今も佐野木さんのそばにいる。
<ジャンボ尾崎さんに捧げる。佐野木計至さん弔辞全文>
ジャン兄、この会場が見えてますか?
一人一人の顔を見て、はにかんでないですか。
すごいメンバーですよ。
今日、この景色を見てあなたが昭和、平成を駆け抜けたとてつもなく偉大なゴルファーだったと改めて実感しています。
先輩、振り返れば、私の人生は、ほとんどあなたの2クラブレングス内でしたね。
徳島の南端、宍喰に共に生まれ、小中高が一緒どころか、産婆さんや保育所までが一緒でした。先輩はおおらかで、優しくて、全てが大きかった。
昔から不思議な運を持ってましたね。
まもなく始まる選抜高校野球でも、四国は二校だけだったのに、あの年なぜか三校が選ばれ、部員はたった十四人ながら、あなたの投打にわたる大活躍で初出場、初優勝!
最期は一点差で九回裏二アウト満塁ツースリー、一塁手の私はひざがガクガク。なのに、あの場面であなたは「おい佐野木、飛行機が飛んでるぞ」。そう言って、空を見上げて悠然としていました。
そのおかげで、小フライのウィニングボールを捕ることができました。
大人になっても珈琲を飲まない。喫茶店に行ったこともない。携帯もスマホも持ったことがない。そのうえ、外出ギライ。先輩はまさに昭和のがんこもん!
いや昭和の侍でした。本当に格好良かった。39歳の時、あなたから突然呼ばれた別府温泉。二人の愛を確かめたいのかと思いきや、まさかのやまごもり。
スランプのどん底だったあなたが季節の大復活を成すためのターニングポイントになろうとは、知る由もありませんでした。
「もう一度オレはやる!絶対にカムバックする!だからオマエも大きな試合は必ず担いでくれ!」
あの時の真剣な眼差しは、今でもはっきり覚えています。
言われた時は何だかものすごく嬉しかった。あれからの快進撃、40歳からの64勝ですか?とてつもない、どえらい記録でした!
ここ一番、勝負どころのパッティング。
「佐野木、ラインはどうだ?」
「右カップいっぱい」
「間違いないな!」…そこからアドレスに入り、不動明王真言を唱えながら「ガッツポーズ用意しとけ!」。
しびれました。
十二月二十三日、天国行きのジャンボ機で、紫色の飛行機雲を残して、旅立った先輩。
今何をしていますか?
もうクラブを握っていますか?
そっちのゴルフコースはあなた好みですか?
私が行くまでの間、すみませんが、セルフカートで待っていてください。
「さっさと早う来んかい!」言わないでね。
もうちょっと土産話を持って行きますから。
ジャン兄!
最期まで媚びることない男の戦う姿勢を見せてくれました。不屈の勝負師でしたね。You are the man、でした。
お疲れさんです。
今までたくさんの思い出をありがとうございました。
これからも日本ゴルフ界の発展を、日本選手の大いなる活躍を、その大きな心、温かいまなざしで見守ってください。よろしくお願いします。
令和八年三月十六日
佐野木計至







