記事

ゴルフ日本シリーズJTカップ 2025

恩人が証言。21世紀生まれの最初で最後の賞金王・金子駆大は大谷翔平級の柔らかさ

賞金1位で迎えた金子駆大(かねこ・こうた)が大会を7位で終え、愛知県勢として初の賞金王に就いた。

23歳94日は、石川遼と松山英樹に次ぐ3番目の若さ。また、21世紀生まれとして初キングになった。

初優勝の5月「関西オープン」と、11月の「三井住友VISA太平洋マスターズ」の年間2勝で賞金1位で抜け出し逃げ切った。
ツアー初優勝を飾った年に、賞金王に就くのは日本人初の快挙。ツアーでは来季ポイント制の導入を控えて、史上最後の“賞金王”になった。



初戴冠を控えた朝。山喜トレーナーは、ケア中にいつもと違う感覚を覚えた。

体から伝わる心拍数が速い。
つとめて軽い口調で「緊張してる?」と聞くと、「緊張してる」と、金子は素直に認めた。「俺もしてる」と、山喜さんは明るく言った。「それが普通」と、送り出した。

地元名古屋で山喜さんが切り盛りする整骨院に金子が初めて訪れたのは、中学1年のときだった。
「確か首が痛いと言って来たような…。あの時はこれほどの選手になるとは夢にも思わず。わかっていたら逐一覚えておいたのに」と、山喜さんは笑う。

最初は目も合わせてくれないほどシャイで人見知り。「でも、ずいぶん大人になりました」と、成長に目を細める。
当時は体も今より細く華奢だったが「中学生のわりには骨太でした」。今もたまに山喜さんもごちそうになるが、料理上手の母・来未さんの食育のたまものと、後から知った。

当時からびっくりするほど肩関節が柔らかく、いまも腰に両手を添えた状態で、両肘がくっつくほど体の前で寄せられる。
「大谷(翔平)選手もそうですよね?」と山喜さん。ジュニア期は、それを活かしてめいっぱいテイクバックを上げたが、今は逆にコンパクトに振ることで、安定感を高めている。

ペンは左利きです

普段は左利きだが、ゴルフは右で振り、テイクバックと同時に、左の効き目でボールを直視しながら首を右に動かしていく。



独特のスイングは、今も変わらないが、昨季から目澤コーチに教わり精度は格段に増した。
パットの橋本コーチと、ウェッジの永井コーチにも指導を受け、小技にも磨きがかかった。

5月の「関西オープン」で、1勝を挙げたあとの成長ぶりは目覚ましかった。トップ10を8回続けたのちに、2勝目を飾った11月の「三井住友VISA太平洋マスターズ」では常にピンを刺すショットにみなひれ伏した。

極寒の御殿場で、仲間たちから大量の水シャワーを浴びた。濡れた身体のまま表彰式や会見に対応したのが響いたのか翌週に風邪をひいた。

写真は三井住友VISA太平洋マスターズ

山喜トレーナーが会場に帯同するのは、あらかじめ年間のスケジュールを見て、特に金子が照準を合わせた試合のみ。
次の「ダンロップフェニックス」できょうきょの要請を受けたが、地元でほかに多くの患者さんを抱える山喜さんは、行ってあげることができなかった。

最後まで万全の状態ではなかったが、立派に戦いぬいた。
特に最終日は、勝って逆転を狙う蟬川泰果(せみかわ・たいが)と初日に続く同組になった。

目の前にレースの相手がいる。しびれる展開で、スタートから連続ボギーを叩いた。逆に蟬川は6、7番の連続バーディで逆襲を始めるかに見えた。

だが、後半15番で木の根元から左打ちを試みた2打目が木に当たるなどして蟬川がトリプルボギーを叩いて5位に終わり、レースは終焉を迎えた。


「今週だけじゃない。1年頑張ってきた積み重ね」と、山喜さん。「本当にすごいです」と、称えた。

金子の自宅は山喜さんの整骨院の裏手に位置し、実は、治療に来る前からその存在は知っていた。
「庭にアプローチ用のグリーンがあって。凄く頑張って練習している姿は見ていましたので」。
小さいころから知る子の戴冠は、感慨深い。

今週、PGAツアーの2次予選会を突破した杉浦悠太(すぎうら・ゆうた)もまた、山喜さんが看てきた一人だ。
杉浦と共に、金子も次週の同最終予選会に挑戦するため、翌朝にも発つ。
「コータもユータもすごい。2人ともいなくなっちゃうのは寂しいけど、アメリカでも頑張って欲しいです」。
十数年来の恩人も、賞金王の旅立ちを見送った。


    関連記事