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カシオワールドオープンゴルフトーナメント 2025
今度こそ自分のために泣いた。コーチを高知に連れてった。大岩龍一と谷コーチの12年の歩み
今度こそ、自分のために涙を流した。大岩龍一(おおいわ・りゅういち)が、プロ7季目の初Vを達成した。
「最高の思い出も、最悪の思い出も高知にある」。大会が、高知に会場を移してちょうど20年目(開催は44回目)。記念の地が、27歳にもゆかりになった。
2差の3位で出て、2打目が入りかけた1番などボギーなしの7バーディ「65」で追いつき、砂川公佑(すながわ・こうすけ)とのプレーオフ2ホール目のバーディで決着した。
その場に崩れ落ちた池キャディにつられて溢れ出た涙はそこからとめどなく流れ落ち、谷将貴(たに・まさき)コーチへの感謝を伝えたVスピーチでピークに。
ヒック、ヒック…と何度も声を詰まらせ「谷さんがいなければ、今のゴルフはなかった。本当に感謝しています」。

高校1年の15歳で門をたたいた。
「結果をすぐ求めるならだれか別の人に」と、最初は断られた。「3~4年かけてベースを作り、その先どれだけ長くプロとして成功できるか」がコーチの流儀。
指導方針に従い、ドリルの“ショートスイング”から始めて最初の頃はラウンドも、試合にでるのも禁止。
スイングの基礎をいちから叩き込まれた。
「僕の持ってる技術のほとんどは谷さんから教わった」。
2018年にプロになり、21年に開幕から5試合連続でトップ10を記録するなど初シードを果たしたが、膝の故障にショットのイップスが重なり、23年の本大会で予選敗退してシード落ちを喫した。
どん底から救ってくれたのも谷コーチで、すぐ後のファイナルQTで、出場権を取り返して翌24年にはまた即シードを復活した。
高知での陥落からちょうど2年。
「コーチを高知に連れてって」と、2人で冗談めかして話したのは、本大会直前だった。
「優勝争いならまた来るよ」と、約束していったん高知を出た谷コーチが、「コーチを高知に連れてって、の位置まで来ています」と、大岩から連絡を受けたのが、2打差の3位タイにつけた3日目の夜。
早朝7時15分の飛行機に飛び乗って来た。
教え子の一部始終を見届けた。
「いちから育てた子がツアーで優勝してくれて本当に嬉しい」と、谷コーチも高知で泣いた。
応援に駆け付けたお母さんの美鈴さんが「あんなに泣いているあの子を見たのは子どものころ以来です」と驚いていらしたが、大岩が大号泣したのは、実はこれで今年2度目だ。
前回は先月、同い年のプロ仲間で、22年から谷コーチに師事するきょうだい弟子の片岡尚之(かたおか・なおゆき)が、「日本オープン」で4年ぶりの2勝目を飾り、マスターズの出場資格を獲得した。
翌週に行われた祝勝会で、谷コーチが片岡のV記念ムービーを披露した。
「ツアーに出たときから一緒に練習してきた一番の友。動画にあまりに感動して、周囲がドン引きするくらいボロボロ泣いた」。
その宴席で片岡や、谷コーチに約束した。
「今度は自分が優勝する」。
高知が約束の地になった。
「有言実行、かっこいい…」と、片岡も泣いていた。
12年前、最初に谷コーチを訪ねた時は、「アメリカでも通用するスイング」を求めていたという。
でも、「最近では日本でも全然勝てない選手だなって。アメリカって、何言ってんだろうってここ数年は、自分でも思っていたので」。
今年だけでも2位2回。
勝ちたくて、勝てなくて、何度もぶつかり続けた初Vの壁。
ついに破って今度こそ、自分のために涙を流した。

この1勝で、賞金ランクは4位に浮上。
次週のシーズン最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」で2週連続Vなら、条件次第で賞金王の可能性も出て来た。
「それには金子駆大(かねこ・こうた=現在賞金1位)が何位だったらいいのかな? 駆大はここまで確実に賞金を積み重ねて2勝している。賞金王は、彼ありきでしかなれないけれど。優勝はめざします」。
プロもコーチもまだ泣き足りない。















