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2012年のニューフェイス紹介!!<第2弾・冨山聡>

ツアー初優勝と初シードをいっぺんにかなえた諸藤将次に続く“新顔”の日本勢は、2011年の賞金ランクは49位につけた冨山聡(とみやまさとし)だ。
まさに劇的な“初シード入り”となった。

自身にとっての昨季最終戦「カシオワールドオープン」は、当初は“圏外”の賞金ランク74位で迎えた。トップ5以上の成績が必要という、尋常ではないプレッシャーの中で勇気をくれたのは片山晋呉の存在。昨オフの宮崎合宿をきっかけに、何かと気をかけてくれるようになった偉大な先輩は、最終日のスタート前に言った。

「昨日も今日と似たような天気の中で、良いゴルフをしたのだから。同じ流れを持ってやればお前は大丈夫だから」。

前日3日目に67を出していた冨山は「同じ流れ」どころか最終18番では8メートルの長いバーディパットを決めて、自己ベストの4位タイに食い込み大ドンデン返しを演じてみせたのだった。

叔父の手ほどきで、はじめてクラブを握ったのは小学生のころ。
当時、地元・茨城県で行われていたトーナメント「キリンオープン」は会場まで車で5分ということもあり、足繁く通った。「(尾崎)直道さんに憧れた」という。

「サラリーマンにはなりたくないし」と、伊奈高校(茨城)時代にプロ入りを決意。千葉県の中央学院大に進み、4年時の関東学生ゴルフ選手権で連覇を達成。また同年の文部大臣杯・全日本学生王座決定戦を制し、2001年に念願のプロデビューを果たした。

それからちょうど10年目に、トップ70の仲間入りを果たした。土壇場の初シード入りにはなおさら「自信になる」と、飛躍の年にむけて弾みとなるはずだ。

昨オフに片山からの“指令”で始めたサンドウェッジでの片手1本打ち。「晋呉さんにとっては僕なんてまだまだです。100あるうち1も出来ていない」と自戒を忘れず、確実にひとつ成果を出した。

1年半の付き合いを経て、2008年12月に女子プロゴルファーの山崎礼奈さんと結婚。スイングのアドバイスはもちろん、同業の奥さんが頼もしいのは夫がふと弱気になったとき。「あなたにはシードを取る力がある。優勝も出来る」。
今季も妻の言葉を信じて、2つ目の目標に向かって突き進む。

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