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東建ホームメイトカップ 2013

2013年のチャンピオン第一号は塚田好宣(つかだよしのぶ)【インタビュー動画】

2013年のジャパンゴルフツアー開幕戦を制したのは日本生まれで、タイ育ちのベテラン。43歳が、プロ20年目にして嬉しいツアー初優勝を飾った。首位とは1打差の単独2位からスタートした最終日は、いつになく、強い気持ちで出ていった。

「今日は勝ちを狙っていく。あえて自分にプレッシャーをかけてやる」。
昨年7月の「サン・クロレラ クラシック」で自身2度目の最終日最終組を経験して分かった。「優勝するには気持ちだ、と」。プロになって20年。ずっと優勝したかった。でも、そう思うことで自滅するのが怖くて「どうせ自分は勝てないから」と、興味のない風を装ってきた。

「意気込むと、余計に自分は駄目になる気がして」。だがそうやって逃げているうちは、何もつかめない。「それでは一生、勝てない。落ち目になる前に勝ちたい」。自分の本心に気がついたら、肝が据わった。チャンスを目前にしたこの日は最後まで、「絶対に勝つ」と、自分に言い続けた。

荒れ狂う風が、逆に味方をしてくれた。難条件に、他の選手を気にしている余裕もない。「かえってプレーに集中出来た」。1番で3メートルのバーディ発進。早速、首位を捕らえた。5番では、8メートルをねじ込み頭ひとつ抜け出した。

逃げれば余計に苦しくなると、改めて痛感したのは折り返して10番だ。
「アゲンストの風に、怖じ気づいた」と、連続ボギーを打った。攻撃こそ最大の防御だと、厳しい自然が塚田に伝えていた。「勝つためにはどうすればいいか。今日はそれだけを考えよう」。強い気持ちを取り戻した。14番では、2段グリーンの下から17メートルものバーディパットを沈めた。

全英オープンは、04年と08年の2度出場。あのとき、リンクスコースが教えてくれたことも無駄にはしない。「経験が生きたと思う」。最後は4打差つけて、堂々と逃げ切った。

苦節20年。豪州でプロ転向を果たしてからというもの、「思い返せば長かった」。2005年に初シード入りを果たしたが、わずか2年で陥落。そのあと出たり入ったりを繰り返したここ数年は特に「心が安まることなくつらかった」という。
最後はわずか、30センチのウィニングパットを沈めて「よくここまで頑張って来られた」。苦しかった年月も、風と一緒に「吹き飛んだ」。同時に、さっそく次の目標が頭をもたげた。

「今度はアジアで勝ちたい」。
塚田をここまで育ててくれた場所でもある。

東海大を1年で中退してアメリカに渡り、親友の佐藤信人のつてを頼ってニューメキシコの陸陣士官学校へ。卒業してルイジアナ大に進むも、また中退して豪州でプロゴルファーになった。

稼ぎ場を求めて各国を渡り歩いて、行き着いたのが東南アジアだ。とりわけ、タイはとても塚田の気に入った。
気候も、食事も。「どんなときでも深刻ぶらずにニコニコしている」。微笑みの国と呼ばれるゆえんである。そんなタイ人の気質も大好きになった。もともと堪能だった英語に加えて、すぐにタイ語を覚えて溶け込んだ。

オフは必ず足を伸ばす。日本ツアーに帰っても、ごく自然にタイ選手と練習ラウンドを回る。
先の欧州ツアーで勝った新鋭のキラデク・アフィバーンラトに言われた。「ヨシはパットさえ入ればいつでも勝てる」。昨夏から続けているクロスハンドは「叩き上げ」(塚田)のベテラン、プラヤド・マークセンのアドバイスだ。ボールは左側に置き、右足だけ半歩後ろに構える。言われるがまま練習していて気がついた。「こうすれば左肩が開かない」。完全なる弱点克服。他の多くのタイ選手には、くじけない心も学んだ。親友たちには感謝してもしきれない。

43歳での初優勝は、日本人選手としては、史上4番目の年長記録。今季新たに組み込まれたジャパンゴルフツアーのアジアシリーズ2戦は、そのあともベトナムと、フィリピンを渡り歩いて、帰国したのは今週月曜。短パン姿で成田に降り立ち、ひどい風邪を引いたが体調不良のまま、しぶとく連日の難条件を戦い抜いた。

「先週まで5週間もアジアにいて、散髪にも行けていない」。金色に染めた髪も伸び放題で、ところどころ白髪ものぞくが「まだまだ枯れる歳じゃない」。あこがれの選手は、この日ともに最終組で回った室田淳だ。「室田さんは、57歳のいまもレギュラーに出て、チャレンジにも出て、シニアにも出ている。ツアープロとはこういう人だと」。
そこに試合があるとあらば、どこにでも行く。いくつになっても、そんな生き方に憧れる。「プロは出不精になったら終わりなので」。
それにひきかえ今の若い子たちは、「なんでもっと出ていって、上を目指さないのか。向上心がないのか。日本で賞金王になれなくても、外で活躍出来るかもしれないのに」とオヤジ目線で残念がった。

自称ゴルフトラベラー。これからも、思い向くままクラブ片手に世界中を旅して歩く。「またメジャーにも出てみたい。マスターズにも、おまけでいいから1回くらいは出てみたい」。40歳を超えても奔放に、夢を語るにつけても稼げない時代から、自由気ままにさせてくれる。さっきは電話口で泣いていた。陽子夫人にも、感謝の気持ちを禁じ得ない。

  • この日同じ最終組で回った室田(黄色のベスト)は塚田のあこがれの選手。「僕も、50になっても60歳になっても試合に出続けていたい」
  • 待ち受けた仲間から受けた水シャワーが、風邪引きの体に堪える!?「でも嬉しい〜!」
  • ボランティアのみなさんと、左右田大会会長と、キャディのマサさんと・・・。

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