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プロが子供たちに伝えたかったこと・・・武藤俊憲③

ゴルフクラブから白いチョークに持ち替えて、1日限りの先生として教壇に立った。
まず始めに、武藤が昨年のダンロップフェニックストーナメントでツアー4勝目をあげたVTRを子供たちに紹介。画面を真剣に見つめる子供たち。優勝が決まった瞬間「うぁーすごい!ナイスショット、かっこいい〜」と室内には拍手と歓声が響き、武藤は少し照れた。
それから、自身の33年間の歴史をゆっくりと語り始めた。
子供たちに、「ゴルフは1番数字が少なかった人が優勝のスポーツで、海外のいろいろな国からいろいろな人たちが集まって、その1番を目指してプレーします。
僕はプロゴルファーになろうと思ってずっとゴルフを続けてきましたが、今みんなは、例えば野球選手でもいいし、政治家や学校の先生でもいいし、将来こういうふうになりたいといった夢を持っていますか?」と問いかけた。
子供たちの中から、「競輪選手」「サッカー選手」「芸能人」という答えが返ってきた。
「まだわからなくてもいいから夢を持とう。こういうことがやってみたいと思うことはすごく大事なことだよ」と言いながら、黒板に向かって生い立ちを書きだした。
武藤は1978年生まれの33歳。群馬県で3人兄弟の真ん中として生まれ、上に姉、下に弟がいる。
ゴルフを始めた年齢がわからないのは、本当に覚えていないほど小さい時から始めたからだ。母親の実家がゴルフ練習場を経営していたということもあったが、当時の武藤はゴルフよりも車が大好きで、車に乗りたいがために父親のゴルフ練習に付いて行っていた。
それがきっかけでどんどんゴルフにのめりこんでいきながらも、9歳で地元のサッカーチームに入り友達とサッカーを楽しんでいた。
中学校に入り13歳で初めて群馬県ジュニアゴルフ選手権に出たが、30人中25位という散々たる結果だった。
その後、高校1年生(15歳)の時にゴルフ部に入り、テレビで他の選手の活躍を見て、大金や車を始めとする豪華賞品がもらえるのを知り、自分もこのようになれたらいいなと思い、「よし、プロになろう」と決めた。
しかし思いとは裏腹に、鳴かず飛ばずで、全国大会に行けるような成績は残せなかった。
そして高校を卒業後、ゴルフコースに就職して研修生となり、いつかプロになるぞという強い気持ちを持って、練習に明け暮れた。
その4年後、22歳でプロテストに合格。翌年、ツアーデビューを果たした。
忘れもしない23歳のその年は、北海道から九州まで全国各地を転戦したが、獲得賞金は89万円と大赤字だった。
「俺向いてないのかな」と思いつつも夢をあきらめずに頑張っていたところ、まだ名前も売れてなかった28歳の時、転機が訪れた。『マンシングウェアオープンKSBカップ』で、最終日トップとの7打差をひっくり返し大逆転での初優勝だった。
でも人生はいいことがあったら悪いこともある。
32歳、左手の親指を怪我する。試合の最終日、グローブが入らないほどパンパンに腫れあがったため、3日目終わって9位だったが棄権。その後4試合欠場することとなった。
そして昨年、『ダンロップフェニックストーナメント』で優勝することができ、今までのゴルフ人生の中で最高の成績、日本で賞金ランキング8位になった。
こうして振り返ってみると、武藤のこの10年間はいろいろなことが起き、ものすごい勢いで人生が変わってきている。
武藤は子供たちに、「いまツアーで活躍している選手の多くは、中学生や高校生の時から全国大会や関東大会で優勝している常連さんたちばかりです。でも僕はプロになるまでいっさい成績がありませんでした。「夢を持とう」が今日のテーマですが、この夢を持ち一生懸命頑張ったからこそ、ここからいいことが立て続けにいっぱい起こりました。だから、みんなにも何でもいいから夢をもってもらいたい。こういうふうになりたい、こういうことがやりたいという強い思いがあると絶対かないます。テストで100点取りたいでもいいし、中学校に入って友達たくさん作りたいでもいい。自分は一体何がしたいのかよく考え、それに向かって一生懸命頑張ることが夢をかなえるただ1つの方法です。それを証明した人がここにいます。でも現在の僕にはさらに夢があり、日本で1番になることです。」と熱く語った。
講義を受けた子供たちは「夢をかなえてすごい。もっと優勝して頑張ってほしい。」「あきらめないで一生懸命頑張ったことがすごいと思った。」「自分も夢がかないそうだと思ったので努力したい。」と口々にし、プロのお話をしっかり受けとめたようだった。
校長先生から「1番辛かったこととそれを乗り越える力になったことは?」と質問があり、武藤はこう答えた。
「1番辛かったことは31歳の日本オープンで、韓国選手に逆転されて負けたこと。落ち込んでいた自分に周りの人たちが気を遣い、声もかけられないでいた時、帯同キャディだけが背中をたたいて「次があるよ。また次頑張ろうよ」と言ってくれたことが、僕を前に向かせてくれた。その時、いま僕があるのは、いつも周りで支えてくれる人たちのおかげだと気づいたからです。だから、みんなもお父さんやお母さん、学校の先生やいろんな人たちに支えられていることを忘れずに、ありがとうをきちんと伝えてください。それは大事なことです。」
最後に代表児童からのお礼の言葉と、子供たち全員から心温まる歌のプレゼントがあり、
武藤は今日の子供たちからの応援を胸に、4月の開幕戦に臨む。
















