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日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ 2003

『林由郎さんの受賞スピーチ』2003年JGTOゴルフトーナメント功労賞受賞、林由郎さん〜授賞式の風景から

「みなさんこんにちは、私がいまご紹介に預かりました、プロゴルファーの林由郎でございます。
私がどのようにプロゴルファーになれたのか、それからお話したいと思います。私は、我孫子ゴルフ倶楽部から、わずか5、600メートルの、貧しい農家の子供に生まれました。小学校は、6年生までしかいかれず、11歳からキャディとして使っていただきました。ある日、我孫子でプロの月例会があるから、そこでひと儲けしようか、とハンディ5をもらって挑戦しました。すると、私が3等になっちゃってね。それで、16歳でプロになったんですが、ちょうど戦争がはじまってしまって私も、兵隊になって戦争にいきました。
そして復員して帰ってきたあとに、戸田藤一郎先生と、宮本留吉先生と、中村寅吉さんと、エキシビジョンマッチをやったんですよ。そのときね、なんと、フェアウェーから空振りをやっちゃったんです。そしたら、戸田先生がそのときまだ若かったもんですからね、えらい勢いで、『バカやろーみっともない、何やってんだ』と叱られたんです。でも、私は『やっちゃったもんはしゃんめえ』といって、自分をなぐさめていたんです。そしたら、今度は宮本先生が、『林君、そのスイングはな、両脇があいてしもとるから、構えを変えてやってごらん』と教えてくださった。私はそれを聞いてすぐに、左脇に一銭硬貨を挟んで、スイングしてみたんです。そしたら、すごくうまくいったから、こっそり、ずっと一銭を挟んだままゴルフをしたら、とても上手にできた。宮本先生は、それでいい、と誉めてくださいました。
僕は一銭のおかげで、ここまでになれたわけです。それとあと、戸田先生も宮本先生も同じことを言った。『右足が動いたらあかんで』。私は、そうやって親切に教えてくれる人の前で、空振りをやれたから、良いスイングを身に付けることができました。(中村)寅先輩はそばでげらげら笑ってた。当時のトッププレーヤーのみなさんの前で、空振りをやっちゃったんだから、もう私には、恥も外聞もありません。その出来事がきっかけで、私は球を曲げることを覚えてました。それまでは、曲がっちゃってたんです。曲げちゃいけないときに、曲がちゃってたんだけど、あえて曲げて打つ方法を覚えることができました。
青木君、尾崎兄弟や福島君には、私の当時の失敗をたくさん話しました。その結果がいまこうして、素晴らしい賞をいただくことになって、もう81歳にもなるのに、みなさんの前でこうしてお話しができる・・・。とっても嬉しいです。ほんとうにありがとうございます。これからも歩ける限り、こうしてゴルフ場を歩きたい。100歳まで、こうしてゴルフ場を歩いて生きていけたらいいな、と思ってます。みなさんも、頑張ってください」

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