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アコムインターナショナル 1999

田中秀道、通算19アンダーで98年沖縄オープン以来のツアー6勝目

今年3月にすごく尊敬していたおじいちゃんが亡くなったんです。すごく厳格な人で、叱られてばっかりだったけど、いつもボクを見守ってくれた。昨年の日本オープンに勝ったときは、はじめて「お前も、勝負強くなったな」って言ってくれて。そのときの言葉は、きょうまでずっと胸にありました。おじいちゃんのためにも、早く勝ちたかった。おじいちゃんは、きっときょうの優勝を見ていてくれたと思う。もしおじいちゃんが生きていたとしたら、きっときょうの9番、11番、1番ホールのプレーを誉めてくれたろうな。
2位の深堀に2打差まで詰められていた9番、429ヤードのパー4。田中のティショットの直前にギャラリーがカメラのフラッシュをたいた。

 「フラッシュで、打つ前に目がちかちかしていたんです。それで、というわけではないけれど、

ティショットを左バンカーに入れてしまいました。でも、ここで(ピンに)ひっつければ、流れがくる、と思った。それがきょうの試練だと思って…」(田中)。

 残り172ヤードのバンカーショット。これを7番アイアンで、ピン手前7メートルにつけた。

 「プレッシャーのかかった精神状態の中で、ビビリながらもこのパットを良く入れたと思う」。

 11番、12番でも連続バーディ。共に2メートル前後の、プレッシャーのかかるパットを沈めて「取るべきホールで取れた。この3つのホールのプレーは、おじいちゃんも誉めてくれるのではないでしょうか」と頬を紅潮させた。

 スタートするときにあった3打差にも、余裕など持てなかった。「このコースでは、8打差をつけていても緊張すると思う。5打差以下なら、何が起きるかわからない。ここは17番ホールが終わったときに、3打以上つけていて、はじめて安心できるようなコース」

 4打差で迎えた17番、184ヤードのパー3。

 ピンまで17メートルのバーディパットを沈めて、通算20アンダーにした瞬間、思わず田中は、うずくまって祈りを捧げるポーズを取っていた。

 このとき、勝利を確信した田中は、天国の「おじいちゃん」、巽さんに11ヶ月ぶりの優勝報告をしたのだろうか。

 ヒザの故障に悩み、苦しんだ末に勝ち取った、価値あるツアー6勝目だった。

田中秀道のはなし
「後半は、プレッシャーの中のプレーだった。(左ヒザを痛めて)3ヶ月、本当に苦しかった。試合に出れない日々が続き、試合に出ても、後ろから数えたほうが早い順位ばかり。ずっと苦しかった。でも、この優勝でケガも完治したということを示すことができた。今回の優勝は、きっとこれからのボクの自信となると思います。
 きょうはまた、亡くなったおじいちゃん(巽さん)が見守っていてくれたと思います。おじいちゃんのためにも、早く勝ちたかったんです。きょうの優勝、おじいちゃんはきっと見ていてくれたと思います。
 来週以降、大きな試合が続き、すごい外人選手がたくさん来ますが、ボクも一生懸命頑張りますので、みなさん、どうぞ見ていてください」

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