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ブリヂストンオープン 2009

池田勇太が今季4勝目、賞金ランクは1位に返り咲き

1メートルのウィ二ングパットを決めて、いつも強気な選手には珍しく、うつむき加減のガッツポーズはこみ上げてくるものがあったから。「泣きそうになったんですけど。表彰式のために、我慢をしました」と、溢れ出しそうな涙は必死で奥歯を噛みしめた。

今年6月のツアー初優勝の際には「65」。2勝目は「63」。3勝目は「64」。そしてこの日は「65」と勝負の最終日にこそ、大爆発をして勝利をさらうパターンは一緒でも、思い入れの深さという点ではこれまでの3勝とはまた違う、特別なものがあった。

実家から、自転車に乗っても10分もかからずに来られる。ここ地元・千葉県の袖ヶ浦カンツリークラブは祖父の直芳さんに連れられて、幼いころから慣れ親しんできたコースだ。

そして直芳さんと、初めてトーナメント観戦に来たのもこの大会。
「小学校の何年生かは忘れたけれど。丸山さんが連覇(97年)したことは、今でも覚えている」。
千葉学芸高3年と、東北福祉大は2年生のときに、2度のベストアマチュア賞を獲得して、夢にまた一歩近づけた気がした。

「いつか、自分もプロになってここで勝つ」。

いまこそ、幼いころからの目標を実現すれば、獲得賞金で石川遼を抜いて8月以来のランク1位に返り咲けることも分かっていたがそんなことは、はなから眼中にはなかった。

誰よりも、義理人情に厚い選手は今季4勝目をあげた今大会が、クラブ契約を結ぶブリヂストン主催のトーナメントである、そのことこそが嬉しい。

首位タイにつけた2日目の夜にクラブ技術のスタッフを招待して、ささやかな食事会を開いたが、それだけではモノ足りるはずもない。「勝ってこそ、日頃の恩が返せる」。
3日目に一度は3位に後退したが、強い気持ちはそのままだった。

地元出身のホストプロ。
並の精神力ならば、そんな立場というだけで、重圧に押しつぶされてしまってもおかしくはない。だが「プレッシャーって……。感じなきゃダメなもんなの?」と、逆に不思議そうに聞き返す。

しかも、大事なこの大会で右の手の甲を痛め、「よりによってこの週に」と日々険しい顔つきで、テーピングでぐるぐる巻きの患部を恨めしそうに見下ろしていた。
3日目までは、痛みをかばって攻撃の手も弱めるしかなかった。
ホールアウト後の練習も控え、出来るだけ安静を心がけていたが、いよいよ迎えた最終日にこそ、持ち前のど根性に火がついた。

「いてぇだ(痛いだ)さみぃだ(寒いだ)言ってる場合じゃないんで。あと1ラウンド持てばいい」と激痛にも構わずに、たちまち攻めの姿勢に転じると、この日最初のバーディは4番でなんと15メートルをねじ込んだ。
8番では13メートルものスライスラインを読み切って「これで来たね、と思った」と、3つめのバーディで単独首位に。
7番アイアンで、ピンそば20センチのスーパーショットを放った12番パー3から3連続バーディで、あとは並み居る先輩プロにも影さえ踏ませなかった。

同組で回ったベテランの久保谷健一も「彼はまるで宇宙人。恐れがない」と呆れた怒濤の8バーディは逆境も、周囲の期待も力に変える。

憎たらしいほどの横綱ゴルフで家族をはじめ、大勢の恩人たちを狂喜乱舞させた23歳は、「まるで、我が家で優勝した気分」としみじみと、「ばあちゃんの足があまり良くないので。ここで優勝するしかないと思っていた」とクラブハウスの片隅で、遠い大会では応援に来られるはずもなかった85歳の祖母・正子さんの肩を抱き、「一緒に写真を撮ろう」といって優しい笑顔で微笑みかけた。
  • 専属キャディの福田央さんと今季4度目の歓喜の抱擁
  • 雨合羽を着込んで、大勢の地元ファンの手荒い祝福から身を守ろうとしたが無駄な抵抗。黄色のパンツもびしょ濡れに
  • 応援に駆け付けてくれた、たくさんの恩人たちの手で宙を舞った…!!

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