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カシオワールドオープン 2008

片山晋呉が王座を奪還

矢野東が初の賞金王獲りを公言したのはシーズンも半ば。谷原秀人に至っては、もっとずっと前からだった。年頭から目標に掲げ、はっきりとそう口にしてきた。
そして、2人が言えば言うほどそれについて、頑なに口を閉ざしたのが片山だった。

むしろ、まるで興味のなさそうなコメントを残すこともあり、本心が見えなかったが王座奪還への熱い思いは昨年末からすでに高まっていた。

谷口徹に4年連続の賞金王を阻止された瞬間は、それほどでもなかったのだ。
しかし「ジワジワと悔しくなってきた」。
谷口に負けたことで“ゴルフ愛”にますます火がついた。
それこそ「朝昼晩」。寝る間も惜しんでボールを打った。
「練習の取り組み方も、気合いも今まで以上」。
これまで以上に体をいじめ抜き、オフは積極的に海外のツアーに参戦したのも、今までにはなかったことだった。

「今となっては、獲れないで良かった」と話したのは今年3月。
「失ってみて、初めて分ることもあるから。賞金王になっていたら、出来なかったことが出来たから」。
すでに開幕前から、その手応えはあったのだ。

「賞金王になる」と、口にするのは簡単だ。
しかし、5度の王座についたからこそ分る。
「そう簡単に、獲れるものじゃないんですよ」。
追われる者のつらさは自分が一番知っている。
だからこそ、簡単に言葉には出来ない。

その分、「内に秘めたもの」は相当だった。

5月の日本プロでツアー通算24勝目。
そのあと足踏みが続き、産みの苦しみを味わった。
満を持して、10月の日本オープンで悲願のツアー通算25勝目。
人一倍こだわる日本一の舞台で史上7人目の永久シード入りを果たし、11月の三井住友VISA太平洋マスターズで有言実行の大会初制覇を達成した。

そして、優勝が絶対条件だった賞金ランク2位の矢野東が7位に終ったこの週、ツアー最終戦を待たずして5度目の賞金王を決めた。
ゴルフ史上にも残る、激動の1年間だった。
「これ以上の年を作れといっても、もう無理でしょうね」と、しみじみと振り返った。
「よくここに戻って来られた。忘れられない1年になりました」と、噛みしめた。

「身体に恵まれない僕でもこれだけやれること。それが若手のみんなの勇気と励みになれば。これからは、僕がやってきたことを伝えていく番なのかな、と思っています」と片山。

そう言ったそばから、こう言い切った。
「でも、まだまだ譲れない」。
これからも、若手の大きな壁となる。
連戦に身体はあちこち悲鳴をあげているが、闘志が萎えることはない。
「来週こそやる気が出るでしょう、間違いなく」。

次週は、ゴルフ日本シリーズJTカップ。
年間で、日本と名のつくタイトルを3つ以上獲った選手は過去3人しかいない(※1)。
また史上3人目(※2)の2億円越えもかかっている。
「今年の集大成として、勝ってみたいと思います」。
シンゴ伝説はまだ終っていない。

※1)日本と名のつくタイトルを年間3勝以上あげた選手は・・・
1974年 ジャンボ尾崎(日本プロ、日本オープン、日本シリーズ)
1975年 村上隆   (日本プロ、日本オープン、日本プロマッチプレー、日本シリーズ)
1989年 ジャンボ尾崎(日本プロ、日本マッチプレー、日本オープン)
1997年 丸山茂樹  (日本プロ、日本マッチプレー、日本シリーズ)

※2)過去に獲得賞金2億円を越えた選手は・・・
1994年 ジャンボ尾崎(2億1546万8000円)
1996年 ジャンボ尾崎(2億964万6746円)
2001年 伊澤利光  (2億1793万4583円、海外の獲得賞金を含む)

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