Tournament article

ANAオープン 2008

藤田寛之「答えはまだ見つからない」

輪厚には因縁がある。2002年。ジャンボ尾崎が55歳7ヶ月と29日のツアー最年長での大会7勝目をあげたときだ。

最終日は藤田とのマッチレースとなり「いつしか、藤田のミスを期待している自分が情けなかった」とまで、ジャンボに言わしめた好ゲームだった。

敗因は、17番パー5の第2打だ。
ジャンボが左ラフの木のそばに打ち込んだ第2打を見事にリカバリーしたことで、藤田は勝負に出た。
「ジャンボさんに挑戦するなら、これしかない」と、左の林超えにトライ。
しかし、ボールは見るも無残に林間へと消えて、のちにこのときの藤田のプレーについて、賛否両論が繰り広げられたものだ。

「いつも謙虚なプレーをする藤田さんがなぜ」といぶかる声と、「ゲームが面白くなった」と賞賛する人。
「あのときはほんとうに何千人もの人に、いろいろ言われた」と振り返る。

ならば手堅く刻んでいたら、勝てたのかというとそれは誰にも分らない。
「神様が教えてくれるのなら聞いてみたい。2個プレーできるなら両方してみたい。僕の中でもまだ答えが見つかっていない」。

ただひとつ分ることは「勝ちに行ってチャレンジしたけど、それが報われなかっただけのこと」。
後悔はしていない。
それが証拠に、再び迎えた優勝のチャンスでも「イケイケでありたい」と藤田は言った。

この2日間は、同組で回った石川遼を見るにつけ「もうそろそろ無理がきかない」自身の39歳という年齢をいやというほど痛感しつつ、今年初出場の全米プロで、4日間戦い抜いた自信や経験からくるプライドをにじませて、首位タイに躍り出た。

目標は、5月のパインバレー北京オープンに続く自身初の年間2勝だ。
「最近の若い人たちを見ていると強気のコメントが多いから。謙虚ばかりじゃ、その時点で負けてるかな、と」。
珍しく闘志全開で、今度こそ輪厚の17番に置き忘れてきた答えを見つける。

関連記事