Tournament article

カシオワールドオープンゴルフトーナメント 2007

東北福祉勢の同組対決に発奮藤島豊和が「先輩より一足先に初優勝を狙う」

7番でこの日初のバーディを奪ったあとは、ずっと我慢のゴルフが続いた。「2,3メートルのパーパットばかりが残る。心臓に悪いプレー」。

しかも、12番は大ピンチだった。ドライバーで「チーピン」したティショットはカート道。
たとえ救済を受けても、今度は林の中にドロップせざるをえない状況だった。
絶体絶命の場面は、いちかばちかでコンクリートの上から打った。
残り100ヤードの第2打は、ピンまで10メートルにかろうじて乗っかった。
ここ一番のパーを拾って、「ピッチングサンドに傷はいったけど、満足でした」と振り返る。

そして最終18番でようやく3メートルのバーディチャンスが来て「我慢した甲斐があった」。
この日、爆発したのは首位に躍り出たクリス・キャンベルくらい。
そのキャンベルとの差も3つにとどめ「思ったより上が伸びていない。全然チャンス」と、がぜんやる気だ。

10月のコカ・コーラ東海クラシックで、コロンビアのカミロ・ビジェガスと首位タイで迎えた最終18番。
2メートルのチャンスを外し、プレーオフにもつれ込み、その2ホール目に先に6メートルのチャンスを決められて、入れ返すことができなかった。
この2位が初シード入りの大きなきっかけになったとは言うものの、ツアー初優勝をみすみす逃した悔しさは、今も心にくすぶっている。

まして、再び迎えた好機は東北福祉大のひとつ先輩、宮里優作と岩田寛に挟まれての戦いだ。
ますます闘志は燃え盛る。
「2人に挟まれながら、ずば抜けたゴルフがしたい。先輩たちより一足先に、初優勝を狙います」と威勢がいい。

藤島豊和ふじしまとよかず
1981年7月8日生まれ、熊本県天草郡出身。
姉は女子プロの妃呂子さん、弟・晴雄さん、末弟の征次さんも現在、プロ修行中のゴルフ一家。
豊和がゴルフを始めたのは中学2年。妃呂子さんと一緒に練習場に行ったのがきっかけだった。
アマ時代には、2002年の日本アマで東北福祉大の先輩・宮里優作と準決勝で直接対決。藤島が、宮里を3アンド2で倒して決勝戦にコマを進めて準優勝するなど、活躍した。
2004年にプロデビュー。ツアー出場優先順位を決める自身2度目のファイナルQTでランク11位に入り、2年連続の本格参戦を果たした今季は「来年はもう絶対にQTに行かない」と、決意。
「もし、またQTならば別の人生を考えよう」とまで覚悟を決めて臨んだ甲斐があり、10月のコカ・コーラ東海クラシックで米ツアーのカミロ・ビジェガスとプレーオフで争って2位に入り、初シード入りを決めた。

関連記事