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フジサンケイクラシック 2005

丸山大輔「雑草の僕が、ここまで辿りつけたのだから」

最終日を前に、2位と7打差つけていたからこそ不安だった。普通ならば、余裕で逃げ切れそうな大量差。
これまでにもチャンスはたくさんあった。しかし、これまでの優勝争いとはちょっと違う。
「これで負けたら、きっと僕はダメになる」
経験、ではもう済まされない。それほどの貯金を無駄にしてまた破れたら、もう本当に立ち直れなくなるかもしれない。

3日目の夜。食事をともにした練習仲間の宮瀬博文に、聞かずにはいられなかった。
「7打差って、大きいよね?」。
「大きいよ」。
優勝経験もある先輩に幾度となく同じことを念押ししてみたが、完全には安心できなかった。

どこかでダブルボギーを打ったら、あっという間に追いつかれるだろう。
翌日のプレーを、頭の中で繰り返してみる。
眠れなくなった。
うつらうつらしても、すぐに目が覚める。
結局、朝の4時までそうしていた。
緊張のまま、1番ティに立った。

2番で3パットのボギーを打った。
片山晋呉がジワリ、と来ていた。

7月のアイフルカップ3日目に目の当たりにした深堀圭一郎のプレーを思い返してみた。
揃って、調子が悪かった。丸山は、「途中から、ほとんどサジを投げていた」。
対して深堀は、苦戦しながらも1打1打、真剣に取り組んでいたのが印象的だった。
そして、その翌週のサン・クロレラ クラシックで2年ぶりの優勝を飾った。
「いつでも目の前の1打を投げずにプレーすることが、いつか結果につながっていく」と、思い知らされた。

相手を気にしたり、先のことばかり考えていても仕方ない。それよりも深堀のように、目の前の1打だけを見つめていけばいい。
「自分が崩れなければ、何も起こらないのだから」と言い聞かせ、しぶとくパーを重ねていった。

2003年に、勝ち星なしで賞金ランクは8位。1年間、好調を維持し「初優勝にもっとも近い男」と言われながらも、ただ月日が経った。

丸山の優勝争いを見ていた尾崎直道に、説教されたことがある。
「返しのパットは、もういちど落ち着いてキャディにラインを読ませたりして、じっくり仕切りなおすんだ。俺ならそうする」。
以前、同じ組で回った川岸良兼にはこう言われた。
「お前のショットがあれば、俺は10アンダー出している。・・・行けるときに行っとかないと、苦労するぞ」。

17番でわずか1メートルのバーディパットを1メートルもオーバーさせたが焦らずに、「ゆっくりと、時間を取ってパーパットが打てた」。

絶好調の前日3日目には、チャンスを逃さず65の大量アンダー。その差を、最後まで守りきった。
先輩たちから受けたありがたい言葉の数々を、この週は忠実に実践できた。
勝てない時期は長かったかもしれないが、その間に経験したり、見たり聞いたりして着実に身にしてきたものは計り知れない。

「ジェット(尾崎健夫)さんから、“ジミー(地味)丸山”と、命名されちゃったんですよ」と、笑って打ち明けたことがある。
自らを「雑草」と呼び、優勝インタビューでは「そんな僕がここまで辿りつけたのだから、上出来です」と、訥々と語った。
ウィニングパットを決めて、拳を握った瞬間にバケツをひっくり返したような土砂降りの雨。
「雨男ではないはずなんですが・・・。ギャラリーのみなさんには申し分けない」と、誰のせいでもない雨中の表彰式を詫びた。

本人も認めるように、華やかさはないかもしれない。だがその分、粘り強いプレーと滲み出る人の良さが見る者の心を打つ。
「・・・研修生やこれからプロになる人たちが、僕を見て頑張ろうって、思ってくれたら嬉しい」。
雑草が、美しい花を咲かせた。

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