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マンダムルシードよみうりオープンゴルフトーナメント 2005

広田悟激しいプレッシャーのあとに押し寄せたのは「やるべきことはやった」という充実感

一時は5人が並ぶ混戦模様を抜け出して、1打差の単独首位で迎えた18番パー5。残り235ヤードの第2打で、広田は迷わずスプーンを手にしていた。
すでに16番ホールから、経験したこともない激しいプレッシャーに襲われていたが、それでも絶対に逃げたくなかった。守って負けたら、あとで絶対に後悔する。
「刻んでパーで終わるより、たとえ失敗しても最後まで攻めよう。手前の池に入れるくらいなら、いっそ奥だ」と、腹をくくった。
「そこからならバーディか、イーグルもありえる」と、ピンに向かって振りぬいたショットはグリーン奥のラフ。

3打目に向かう途中、大きなスコアボードに目が行った。
川岸が16番でバーディを奪い、首位で並んでいるのがわかった。
ますます心臓は高鳴って、続くピンまで15ヤードのアプローチは「どうやって打ったか覚えていない」という。

1メートルにピタリと寄せたバーディパットは手が震え、パターヘッドがブルブルと揺れていた。
打つ前に、一瞬、目を閉じて深呼吸したが、震えはやまなかった。

それでも「プレーオフは絶対にいやだ」と夢中で手を動かして、ボールをカップにねじ込んだ瞬間、思わず目を閉じて天を仰いだ。
「やるべきことはやった」という充実感が、身体中を満たした。

最終組のプレーは、グリーンサイトで家族揃って見守った。
結局、17番でボギーを打って2打差に後退した川岸と、同じく2位につける平塚が広田に追いつくには、最終ホールのチップインイーグルしかない。
2人のアプローチを見届けた瞬間、夫婦はそっと体を寄せ合った。涙をこらえ、肩を抱き合った。

95年にプロデビュー。しかし、それからの約5年間というもの、ツアーの出場権も得られず、ろくに稼げない日々が続いた。美保子さんに養ってもらった時期もあり、璃香ちゃんが生まれてからは、「いつ、また稼げなくなるかもわからない。この子を飢え死にさせるわけにはいかない」と、大黒柱として歯を食いしばってきた。
「苦労をかけた家族の前で勝てたことがいちばん、嬉しい」。
よちよち歩きで駆け寄ってきた璃香ちゃんを抱き上げて、ウィニングボールをそっと手渡した。

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