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BMW 日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ 2025

川村昌弘が両手の手術以来9か月ぶりの実戦。6時50分にティオフ

コースレイアウトの特性もあり、出場132人が延々と1番ティからスタートする予選ラウンドのワンウェイ方式で、川村昌弘(かわむら・まさひろ)は、第5組の朝6時50分から出ていった。


キャディのメグさんとも久々タッグ



日本でプレーするのは昨年4月の欧州共催「ISPS HANDA 欧州・日本どっちが勝つかトーナメント!」以来だが、JGTO単独開催では、2019年のカシオワールドオープン以来。
13年に日本ツアーで1勝の経験があるが、19年から欧州・DPワールドオープンを転戦し、現在は日本ツアーの出場権は持たない。
今回は、選手会長の谷原秀人(たにはら・ひでと)を介して、JGTOの主催者推薦をもらうことができ「出させてもらえてすごいありがたい」。

6年ぶりの出場を感謝しながらティオフしていった。

開幕前日は、「いったいどうなっちゃうのか。とんでもないことになっちゃったらどうしよう、とドキドキしながらスタートするのは小学生以来。新鮮ですね」と、笑っていたが、いまどんな心境で回っているか。

実戦は昨年8月の「アイルランドオープン」以来、9か月ぶり。
「小2で試合に出始めたときから数えて人生最大ブランクでした。長かった…。試合に出られない時間は永遠に感じた」。
やっとこぎつけた。

2年前に両手首に異変を感じて以降も「ごまかしごまかし、工夫しながらやってきた」。
それでも、賞金シードを確保し続けてきたが、「さすがに次のステージに行きたいと思ったら、この手の状態では厳しい」と痛感したのは昨年、PGAツアーの予選会を受験した時。

「ごまかしごましで行けるようなステージではない。ずっともやもやしてきましたし、精神的にもしんどくなってきた」と、ついに公傷を申請して戦線離脱。

日本に戻り、治療に専念すると決意し、まず左手首の手術に踏み切ったのが今年1月。
さらに2月に右手首にメスを入れ、ようやくギブスも取れ、クラブが握れるようになったのが、今年の4月初め。
まずアプローチから始め、4月末にどうにかフルショットできるようになり、5月半ばに「試合でも打てるかな」と、復帰を決意。

本大会は、2018年まで7回出て、2012年の5位が最高で、同年には忘れもしない。「初日の1番ホールから6連続バーディを獲ったんです」。
7年ぶりに来た思い出の宍戸は、「すごくきれいだな、と感動しています。もちろん以前もそう思っていましたが、久々に来るとグリーンのスピードとか、フェアウェイの刈高とか、管理するのは大変だろうな、とか」。
噛み締めながら踏みしめる。

この7年で、周囲の顔触れはがらりと変わった。
「半分以上、顔と名前が一致しない。知ってる人を見かけると、安心します」と、水曜日の練習日は、谷口徹ら、なじみの顔を探してつかの間のおしゃべりに興じた。


谷口さんに術後を報告しました


「若い人たちからしたら、僕も初めて見る人だし、怖がられているというか…どう接したらいいかわからないでしょうね」と、遠慮しいしい、自己紹介。

今季開幕戦Vの生源寺龍憲(しょうげんじ・たつのり)の名前は知っている。
「いま賞金1位ですよね。海外に行きたそうな子なので。常にステップアップしていけるように、早ければ早いほうがいいよ、と。一緒に戦える人が増えたらいいな。友達になりたいです、と言っておきました」と、つかの間の日本ツアーで少しずつ若い“人脈”も広げる。

主戦場には8月に大好きなスイスの試合からの復帰を計画中。
欧州・DPワールドツアーでは公傷期間中に、別ツアーで3試合の出場が認められているそうだ。

「まずはここで第一歩」と、宍戸で9か月ぶりの実戦。
「こんなに久しぶりだと緊張するだろうし、浮き足立つと思うので、そうなったときに普通にやれるのか、四苦八苦するか。予想ができない。試合でしかわからないこともあるし、そういうのも含めて楽しみだな」と、31歳がわくわくしている。

「長く続けていると、そういう気持ちになかなかなれない。新鮮な気持ち。煮詰まっていたし、いい休養だった」と満喫する。
「今は目標を立てられるレベルではない。こういうことをやりたい、できない、とか。純粋に試合を楽しみながら、今週でまたゴルフが上手くなれたらいいな」。
キャディのメグさんとも久々タッグでほのぼのと宍戸を歩いている。

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