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アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ ダイヤモンドカップゴルフ 2019

藤田と宮本。ウサギとカメの物語

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今どきの人は、童話とかもう読まないだろうか。
ウサギとカメの物語。
あのお山までかけっこしよう、とウサギが言う。
いわばウサギが仕掛けた出来レース。負けるわけがない。
タカをくくったウサギは途中で昼寝。その間に懸命に歩き続けたのろまなカメが、最後はみごとな逆転勝利をおさめる。
明快なストーリーに、人生訓を含んでいる。

これを地でいく2人のプロゴルファーが藤田寛之と宮本勝昌である。
49歳と46歳。年功序列でいけば藤田が"兄"で、宮本が"弟"だが60歳の芹澤信雄がまとめるチームの"弟子入り"は、宮本のほうが先だった。

当初から、宮本の飛距離と身体能力を、高く買っていた"師匠"の芹澤。
「宮本は賞金王の器」と言っていた。
「でも藤田は毎年1勝を重ねて常にシードを守っていくような、そういう選手をおまえは目指せ」。

そう言い続けてきた芹澤のあてが外れたのは2012年。そんな藤田が賞金王に輝いた。
43歳での戴冠は"師匠"を、"弟弟子"を大いに驚かせた。

藤田によると、当時の宮本はどちらかというと、才能に任せてゴルフをするタイプ。
「オフのハワイ合宿で使ったクラブを、1か月後の葛城(藤田の所属コース)合宿で『ようやく開けました』とかいう。今まで何していたの、と」。

ウサギのように、宮本も休んでいたとは言わないが、のんびりしていたのは明らか。その間に身長168センチと、体も小さく、飛距離も出ない藤田はそれを補うべく師匠の芹澤が心配して「おまえもちょっとは休め」と、声をかけるほど。血のにじむ努力の上に築いた頂点だった。

「カメはあれだけやってきたから。40代になって、そういう結果になったんだと宮本は、認めたのだと思う」。
完全敗北を知ったウサギの逆襲は、そこから始まったと藤田は振り返る。
「去年は賞金シードを失くしたし、今では練習も、トレーニングも宮本は相当やっている」。
それが「中日クラウンズ」での劇的Vにつながった。

師匠らとともに、18番グリーンで宮本の感動の優勝シーンを見届けた藤田は「すごいですよね。完全に(今平)周吾とプレーオフだと思ったけれど。最後あんなに長いのを入れて、持ってるわ、ほんと。恵まれた星のもとに生まれていると思う」と"弟弟子"を称賛。
そしてポツリと、「僕と宮本くんは性格も、ゴルフも見た目も別だから…」。
お互いにないものを認め合い、補い、少しでも埋めようと、努力し続ける者同士が寄り集まったからこそ"チーム芹澤″は、いまなお輝き続けるのかもしれない。

そしてウサギとカメの物語はまだ終わっていない。
藤田はいう。
「僕が一番、鞘(さや)を、納めないタイプだから。外には見えないだけで、なかなか諦めが悪いから。まだまだこだわってやっている」。
もうすぐ6月に50歳を迎えるが、再び逆転のチャンスを虎視眈々と伺うカメである。

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