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ISPSハンダグローバルカップ 2016

第2回大会は韓国の朴ジュンウォンがツアー初優勝

第2回大会も、まさにグローバルカップになった。最終日は、韓国とアルゼンチンの一騎打ちとなった。「今日はプレーオフより、本戦の18番のほうが緊張した」。今季は、再三のV争いも今一歩、手が届かないのは「早く勝とうといつも欲を出したせい」。前夜、たまたま閲覧したネットニュースで韓国女子のチョン・インジ選手も言っていた。

「優勝を、意識したときに限って勝てない、と。僕も、明日は優勝を意識しないでやろうと思った」。そうはいっても、手前4メートルのバーディチャンスにつけたその瞬間に、後ろの最終組のグリジョも16番から連続バーディで、タイスコアで並んだと分かれば、意識せずにはいられない。「どうしても、入れたかった」。惜しくも外して、60センチのパーパットはいっそうシビれてグリジョとの、プレーオフが決まった時にはむしろ肩の荷が下りていた。「ここまで来られただけで、上出来だと。あとは楽しくやろうとキャディさんと話したんです」。

2005年にプロ入り。日本ツアーは2008年に本格参戦を果たしたが、ここまでの道のりは長かった。「あの頃はまだ幼くて」。当時21歳。「ただ、試合をやっているという感じだった」と結果を残せないままその後、5度のQT挑戦も、ファイナルまで来て、そこから予選通過が出来ない。
「もう二度と日本には来ない」と言いながら、次の年もまた挑戦しに来て涙を飲むのが続いて、「本当に嫌気がさして、もう諦めようと」。
その間に、幼なじみはあれよあれよと、日本で2度の賞金王に輝いた。
「同い年だけど、昔から雲の上の存在だった」という目下、賞金1位の金庚泰 (キムキョンテ)。「彼が日本での闘い方を僕にも教えてくれた」。ジュンウォンもまた、飛ばないことが悩みだが、「キョンテは飛距離よりも、まずはフェアウェイを捉える技術と小技を磨くことが大事、と」。

プレーオフの1ホール目もグリジョには、飛距離で負けたがまさに、親友の教えどおりに会心のティショットが打てた。フェアウェイのど真ん中を捉えて、184ヤードの2打目は、6番アイアンでピンそば1メートルにつけてアルゼンチンの新鋭を退けた。
ファイナルQTは6度目の昨季、ランク11位につけて、「これでダメだったら日本ツアーはもう諦めよう」と、覚悟をして臨んだ今季は、参戦6試合でみごと、花を咲かせて「諦めないで、頑張ってきて本当に良かった」と、今月30日に控えた30歳の誕生日にも間に合った。

照れ屋で実直な性格は、「気持ちを表現するのがヘタクソで・・・」。背中を丸めて小さくガッツポーズを握っただけの、地味な優勝シーンには本人も恐縮しきりで、「たいしたパフォーマンスは出来なかったけど、実は本当に嬉しいんです!」。

感激の表彰式の間はずっと考えていた。「優勝カップはいつもらえるのかな?」。実は、優勝杯はすでに勝者の頭の上に乗っかっていた。
第2回大会もやはり、「ゴルフのグローバル化と、ゴルフを通じた社会貢献と、地域活性化」を目的に開かれ、「グローバル化を進めるからこそ、日本文化の良さを見直す」と、そのために新たに用意されたのは、グリーンジャケットならぬグリーン羽織と、優勝カップならぬ優勝兜。

表彰式の冒頭で、大会主催の一般社団法人国際スポーツ振興協会(ISPS)の半田晴久・会長が主旨を説明してくださっていたのだが、「僕はまだ日本語がほとんど分からず」。優勝目録ならぬ千両箱を受け取り、米俵を酒樽を頂き、半田会長と、今大会共催の一般社団法人日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長の青木功と羽咋市のゆるキャラ(?)サンダーくんの“共同作業”で頭に装着してもらった兜も、てっきり記念品のひとつだと思っていたが、優勝スピーチの頃になって、ようやくそれが優勝杯なんだと分かって、急に笑いがこみ上げてきた。

ときどき吹き出しそうになりながら、主催者・関係者とギャラリー、ボランティアのみなさんに、感謝の気持ちを伝えた。「僕ら選手はみなさんの応援があって、初めて輝ける。今日もたくさん応援をしてもらって本当に力になりました」。
日本でもお馴染みの韓国焼酎がスポンサーだが、実は一滴も飲めない下戸。本当は「JINRO」で祝杯と行きたいところだが、今回はソフトドリンクの乾杯で勘弁してもらおう。

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