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東建ホームメイトカップ 2016

熊本県勢が踏ん張った

この日揃って首位から出た熊本出身の2人は「気が気じゃなかった」(重永)。「だけど、落ち込んでいる場合じゃなかった」(永野)。地元が大変だからこそ、2人にはやるべきことがあった。
この日の東建多度カントリークラブは早朝から、強い風が吹きすさび、不安な気持ちを差し挟む余地もない。

「予選落ちはさすがに出来ない。でも、風が止んだときに打ちたいと思うとだんだん雑に。打ち急いだり、パットも外したり、上手くプレーが出来なかった」と、重永はずるずるとスコアを落とした。

直後はただ布団の中で震えていた最愛の家族。重永の指示で奥さんは、2人の幼い女児を連れて熊本県菊陽町の自宅を飛び出した。前夜は明け方近くまで、車の中で眠れぬ夜を過ごした。
「下の子は、まだ11ヶ月なんです」。夜通し、気を揉んだ重永。
家族の無事が分かって本当にほっとした。
「今日は自分も頑張っている姿を見せたいと思ったけれど。自分がダメだからその分、竜太郎が頑張ってくれ、と。途中からそういう気持ちでやっていた」。

かたわらの幼なじみの、声にならないエールを知ってか知らずか。永野は強い風の中でも踏ん張った。4番では、7メートルを沈めて3連続バーディを奪った。「昨日の夜から、明日は変なゴルフは出来ない、と。知り合いの人たちにも、成績を出すことで、気持ちが良い方向に行ってくれたら、と」。
この日の難条件にも、強い気持ちで立ち向かった。

永野の実家は震度7を観測した震源地の益城町にある。「今でも帰ると心が落ち着く場所」。牧場を経営する実家に住む祖父も、市内に住まいを移した祖父も母も。みな無事と分かってほっとしても、空撮で見る町の様子映るたびに、「小、中時代はあまり好きではなかったゴルフの練習を抜け出して山で遊んだり、学校の帰りに通った道も。知っていた景色とは、あまりにも違い過ぎてて何も感情が入らなかった。唖然としていた」と、地震で変わり果てた故郷の様子に愕然とした。

この日最後の18番ホールで6メートルのバーディを奪って、3アンダーの6位にしがみついた重永。「良い位置で、予選は通れたので。4日間出来るので。稼げたら、義援金とか提供出来ればいい」。
永野も「お金もそうですけど、避難所は足りないものがあるとかいうのが載っていた。お金に限らず、何か少しでも支援出来たら」。
大変な状況の中でも「いつもの通りにやっておいで」と、エールを送ってくれた故郷の人たち。永野は地震発生時から、知っている限りの友人に連絡を取っているが、思いのほか元気に答えてくれる。
みんなには、嬉しいニュースも一緒に届けたい。

※日本ゴルフツアー機構(JGTO)とジャパンゴルフツアー選手会は、決勝ラウンド土日の16日、17日のホールアウト後にチャリティサイン会を実施して、義援活動を行います。