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日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills 2014

この1勝で、竹谷佳孝も目指せ東京五輪・・・!? にわかに芽生えた自覚 

安倍総理のメッセージも合わせて届けてくださった高村副総裁
大会協賛の森ビルと、このほど4年間のスポンサー契約が結ばれ、タイトルにも「森ビルカップ」がついた記念の今年は、勝者に新たに内閣総理大臣の表彰が行われ、プレゼンターとして駆けつけてくださった自由民主党の高村正彦・副総裁は、安倍総理からこんなイキな伝言を言づかってこられた。

「表彰状と記念のトロフィは必ず、“山口県出身”の竹谷選手に渡してください」。安部総理の出身地は東京だが、本籍地は竹谷と同じ山口県で、選挙区も山口4区とあって、故郷とゆかりの選手にぜひ、優勝して欲しいと懇願されていたという。
「総理の願いがかなって、実現できて良かった」と、安堵の言葉を漏らされた高村副総裁には、竹谷も感激しきり。

また、昨年に引き続いて文部科学大臣賞には、上野通子・政務官が下村博文・文部科学大臣から言付かってきたというメッセージを読み上げた。

下村大臣は、東京五輪の担当大臣でもあり、次のリオ五輪で112年ぶりに正式種目に復活するゴルフをますます盛り上げ、ぜひ2020年の東京までに、ゴルフ王国ニッポンを築き上げていただきたい・・・。

上野政務官は、さらに付け加えて言われた。
表彰式で、読み上げられた文部科学大臣賞の賞状。「たった紙1枚ではございますが、実は非常に重たい。そこには、子どもたちの夢と希望が詰まっておりますので・・・」。

このオフ、竹谷は、セガサミーグループの特別協賛を受けて、JGTOが主催した宮崎合宿に参加した。
“オリンピックを目指して”とのサブタイトルがついたこの強化合宿ではしかし、竹谷は「まだシード権も持たない自分が、五輪を目指すというのは、ちょっと違うと思う」と言った。
34歳という年齢も加味して、「正直、そこは眼中にない」とも。「いや、眼中には出来ないでしょう」と。

1月も末のことだった。

その半年後に、我こそがツアー最高峰の頂点に立っている。「自分は違う」とは、言えない立場になった。この1勝で、竹谷はやにわに未来のゴルフ界を背負って立つ一員になった。

スタート前はいつも、主催者への感謝と、同伴競技者と、コースには必ず「今日も宜しく」と、心の中でつぶやいて出ていく。地元山口県の宇部鴻城高校から九州ゴルフ専門学校に進み、そこでマナーやルールを徹底して学んだおかげあってか誰に聞いても「礼儀正しくて、マジメな選手」との答えが返ってくる。

妻の慶子さんは、「優しい人」とも。一男一女の父は、休日になると子どもたちが散らかしたおもちゃを片付けて歩く。「1に片付け、2に片付け・・・。非常に几帳面な人でもあるんです」(慶子さん)。
母親の照江さんは、「みなさんは、息子をとても褒めてくださる。うちは放任主義で、私もそんなふうに、育てたつもりもないのに」と、笑う。「誰に教えられなくとも、率先して誰か人の役に立ちたいと思う性格だったようです。小さいときから、佳孝はそういう子でしたね」(照江さん)。

表彰式のあと、18番グリーン横のホスピタリティテントで行われたフェアウェルパーティでは、選手を代表して大会を通じて集まったチャリティ金を、大会の地元・友部のロータリークラブに託した。

「ロータリー希望の風 奨学金」は、東日本大震災で両親を亡くした子どもたちが安心して学業を続けていけるようにと、起ち上げられた奨学金制度で、大会期間中には会場の宍戸ヒルズカントリークラブで、今年も地元のボーイスカウトの子どもたちが、募金箱を持った。

そんな活動の一助となれたことも、竹谷には嬉しい。
「僕らプロゴルファーは、活動の場を与えられて、初めて生かされる。好きなゴルフをさせてもらえる。これからも、いろんな形で協力したり、恩返しできることがあれば。僕にも出来る範囲で、活動をしていきたい」。
ツアープレーヤーとして、いっそうの自覚が芽生えたビッグタイトル。
ひそかに抱き続けてきた夢も打ち明けた。
「賞金王を目指して、夢の夢かもしれないですが、そこを目指して、ジャパンゴルフツアーに毎年、長く残っていける選手でありたいです」。手にした5年シードの間に、ちょうど2度の五輪もやってくる。

  • 地元ボーイスカウトによる募金活動
  • 選手を代表してチャリティ基金を寄贈
  • これからも子どもたちの良きお手本に
  • ボランティアのみなさんの労をねぎらう

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