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Indonesia PGA Championship 2013

横尾も宮本も「僕らも頑張っています」

早朝6時40分のスタートも、アラフォーにはもってこい。「昨日は、スタート前に、練習場に行っただけで汗でびちょびちょ」。
しかしこの日は前日初日の朝よりも、ぐっと過ごしやすくて、助かった。
「練習場で、汗をかかないのがまずいいですよ」。

前回のタイも、今回のインドネシアも、実は40歳には、少々おっくうだった。
「暑いでしょ、言葉も通じないでしょ、日本から遠いでしょ。好きになれない、ここもタイも」。

飛行機代や宿代だけを合わせても、相当に稼いで帰らなければ「完全赤字」。
そんなマイナス材料ばかりを集めれば、集めるほどに夜な夜なホテルで「もう帰りたいと思った」。

今回は、インドネシアに着いたその日に、もうホームシックにかかっていた。

それだけに、こうして好スコアが出ると、なおさら報われた気持ちになる。
「この2日間は、ほとんどフェアウェイを外してないし」。
初日から、フェアウェイ上のボールなら拾って拭いて、ワンクラブ以内で置き直しても良いという「プリファードライ」のルールが適用されているから、ショットが好調という横尾はよけいにその恩恵を受けられる。

この日は66で回って5位タイに浮上して、「年の功ですね」と、インドネシアに来たときも、前回のタイでもあまりに過酷な条件に、なんだか不利にさえ感じた年齢も、優勝争いに加われれば、たちまち利点に変わるのだ。

初日は、リーダーボードに2人の名前をみつけたことも、大きかった。
片山晋呉と、宮本勝昌。
今から19年も前の日大時代。誰がつけたか、揃って「三羽がらす」と呼ばれた。それほどに、強かった。
4年最後の日本学生で、3人で最終日最終組で回ったのは今でも良い思い出だ。

とりわけ「晋呉はずば抜けていた」。
今でもそうだ。「永久シードで、賞金王で・・・」。
同級生の活躍には、ただただ感嘆の思いしかないが、その一方で「俺も、頑張っているんじゃない?」。
学生当時は、プロ入りさえ迷った自分だ。
「自分がやれるとは、思ってもいなかったから」。

それが、今でもシードの常連として名前を連ねて、こうして3人揃ってリーダーボードにも名前を載せている。
「客観的に見ると、凄いですよね?」と、いつもクールな男が、珍しくウキウキと言った。
「自分がここまでやれるとは、あのころは本当に思ってもいなかったから」と、どこか遠い目をした。

「2人が頑張っているのなら、僕も頑張らなくちゃと思うんです」と、なおさら2人の存在を刺激に、日本から遠く離れたインドネシアで、再び揃って19年越しの最終日最終組で“同窓会”も悪くない。

片山も、宮本もその気だ。特に宮本は、横尾の存在が気になる。宮本にとっても片山は、ひとつ抜けた存在だが「要とは、いつも励まし合っているので」。この日は午後から強い風が舞う中のラウンドに、苦しみ耐え抜いた。

最終18番は、「要みたいなラッキーゴルフ」と、ジョークもやっぱり同級生の名を引き合いに、安堵した。
左に曲げたティショット。深いブッシュに紛れ込み、2打目はアンプレヤブルを宣言。1罰打で、脱出しようにも今度はテレビクルーの機材が邪魔になったり、ドロップしたボールが木の根っこに跳ねて、競技委員の足に当たったりとすったもんだの末のナイスパーセーブだ。
約160ヤードからの“3打目”を8番アイアンで、2メートルにつけてしのいだ。

同級生らとは1打差の通算9アンダーは、どうにか10位タイに踏みとどまって、「日本人はこっからだから」。
タイの二の舞は踏まない。今度こそ4日間とも踏ん張って、3羽揃って優勝争いに臨んでみせる。

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