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東建ホームメイトカップ 2011

ドンファンが帰ってきた

逞しくなって帰ってきた。母国・韓国で兵役についたのは2008年12月。配属地は空軍施設のスポーツセンターだった。実弾訓練の合間には、室内練習場の使用を許可され、打ち込みも欠かさなかった。

任務も残り半年を迎えたころには、1ヶ月半ごとの2泊3日の休日を利用して、入念なラウンド練習。
ツアーを離れて2年2ヶ月と1日。実践のブランクは、就寝前のイメージトレーニングで補った。ジャパンゴルフツアーの日程に合わせて頭の中で、開催コースをプレーした。

「いろんな人と、優勝争いをしました。遼くんとは3回。もちろん、全部勝ちましたよ」と、ニコニコと笑う。“仮想”最多アンダー優勝記録は「18。誰にも負けない、という自信がついた」と、胸を張る。

米メジャーリーグの松阪大輔選手のそっくりさんとしても知られるだけに、熱心なファンのみなさんにはすでにご承知のとおりと思うが、本名は李東桓(リー・ドンファン)。2006年の来日を機に、「覚えてもらいやすいように」と登録名を「ドンファン」に変更した。トレードマークのスマイルと、親しみやすい性格であっという間に日本ツアーに溶け込んだ。

2007年の6月、ミズノオープンでツアー1勝。最年少Vの記録はその年5月に、まだアマチュアだった石川遼にすでに奪われていたが、20歳2ヶ月の初優勝は当時はプロとしての最年少優勝だった。
そのとき得た2年シードのうち、日本ツアーを留守にしていた2009年の1年間を“凍結”。今シーズンのツアー復帰が実現した。

兵役を経験して培ったことは「厳しい訓練を乗り越えてきた」という自負と、さまざまな世代の人たちとの交流を通じて「精神修業が出来た」こと。中でも「同世代の子たちとは、いま自分のおかれている状況や夢を語り合うことが多かったのですが、自分には帰る場所があるという点で、ほんとうに恵まれていると感じた。本当にありがたいな、と。みなさんに、こうしてまたお会い出来て、ほんとうに幸せです!」。

長く離れていたにもかかわらず、なぜかますます上手になった日本語での自身2度目の優勝スピーチで、改めて感謝の気持ちを語りたいところだ。

写真=兵役につく前の最後の試合となった2008年の最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」で「2011年にまた! 感謝をこめて―どんふぁん」とのメッセージ入りのボールを報道関係者に配ったドンファン。復帰戦で今度は「兵役を終え戻りました! よろしくお願いします! どんふぁん」とのメッセージボールを贈って喜ばせた。


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