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アンダーアーマーKBCオーガスタ 2006

桧垣繁正が単独首位

桧垣は「変な言い方なんですけど・・・」と前置きして、切り出した。「シード落ちしたことが、かえって良かったんだと思います」。

10歳からゴルフの英才教育を受けて、ジュニア時代からスター街道を歩んできた。
近畿大学では、関西アマ、日本学生を制覇。
特に日本学生は、片山晋呉、宮本勝昌と横尾要のいわゆる“三羽ガラス”を倒しての圧勝だった。

94年にプロ転向を果たすと、97年に初シード入り。以後、8年間守り続けてきたが実は、「最後の2年間は試合に行くことも、球を打つことさえ、ストレスに感じた時期もある」と、打ち明ける。

何事も突き詰めて考える生真面目な性格が祟ったのだろうか。
理想のスイングを追い求めるうちに「頭がパニック」。
何人ものコーチに救いを求め、それでも解決できず、練習場で苦悩する姿があった。
そのうち、会場に来てもモチベーションが上がらなくなり「頑張ろう、という気持ちになれない自分が怖くなった」。
そんな状況でゴルフに集中できるはずもなく、昨年は賞金ランク100位でシード落ちを喫した。
おまけに、ツアーの出場優先順位を決めるファイナルQT開催時にはぎっくり腰を患ってランク59位。
今季はほとんど出番がない、という状況に・・・。

そんな絶望の中で、最近また改めて芽生えてきたのがほかでもない。
「また、ゴルフがやりたい」という気持ちだったという。

これまで2回、見直されたリランキング順位も66位。
本来ならば今週も権利はなかったが、2001年大会に平石武則と加瀬秀樹とのプレーオフの末に2位タイ、2002年には3位タイ。
ツアーで唯一となった高麗グリーンに苦手意識がないせいか、芥屋との相性は悪くない。過去の実績が評価され、コースから主催者推薦を受けてきゅうきょ参戦。

「いきなり優勝とか、そういった気持ちはないけれど。せめて恩返しに最後まで大会を盛り上げたい」。
謙虚な気持ちで叩きだしたボギーなしの7アンダーだった。

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