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<シリーズ>初シード選手に密着④ 富田雅哉

初優勝組をのぞく初シード選手の中で、昨年もっとも良い成績を残したのが富田だ。8月のサン・クロレラ クラシックで自己ベストの2位を足がかりに大躍進。
賞金ランクは34位につけたものの、終盤の富田は悩んでばかりいた。

ようやくシードの仲間入りをしたとは言うものの、上を見れば見るほど「自分が下手クソに思えて仕方ない」。
そんな自分がなぜ初シードを手に入れたのか、「自分でも説明できない」。
ショットも、アプローチも、パットも。「1打ごとに、ヒヤヒヤしながらボールを行方を見守っている」。
心の中で叫ぶ。
「お願いだからフェアウェーに行って!」
「お願いだから、グリーンに乗って!」。

いくら練習してもちっとも上達した気がしなくて「気がつけば練習場に足を運んでいるんです」と、富田。
「どうすれば、上手くなれるのか・・・考えすぎて、アホになりそうですよ」と苦笑したあとに、ポツリと言った。
「・・・でも思うんです。多分僕は、自分で自分が上手くなった、と思った瞬間にダメになるタイプなんだ、と」。

それが分かっているからこそ、現状に満足する気になどなれないのだろう。

95年のフィリップモリスチャンピオンシップ(現ABCチャンピオンシップ)。
田中秀道が、ジャンボ尾崎、尾崎直道らの追撃を振り切って、涙・涙の初優勝。
そのとき、バッグを担いでいたのが富田だった。
当時、岐阜県・中京商業高3年生。
秀道がヘッドプロをつとめる瑞陵ゴルフ倶楽部に、アルバイトキャディにやってきたのが富田だった。
秀道に誘われてやってきた初めてのトーナメントは4日間、緊張しぱなしだった。

ウィニングパットを決めて秀道がその場に泣き崩れたときもまだ、富田の心は張り詰めたままだった。

“シンデレラボーイ”のウィニングボールを求めるファンにもみくちゃにされ、クラブを守るのに必死だった。
「秀道さんの大切なクラブ。無事、運び終わるまで、僕の仕事は終わりじゃない」。
そんな使命感で心を一杯にして、人ごみを振り切って歩いた。

ようやくキャディの富田にも喜びが実感できたのは、どうにかクラブハウスにたどり着いて待っていた秀道の目が、涙で真っ赤に腫れているのを見たときだ。

「秀道さんが、勝ったんだ・・・」。

緊張の糸が切れた途端にもらい泣き。
その感動は、今も忘れていない。
プロ入りを固く心に決めた瞬間だった。

今年は、その秀道が米ツアーから撤退して復帰元年を迎える。
足並みを揃えて、初シード入りできたことが嬉しい一方で、富田の気持ちはいっそう引き締まる。
「師匠を目の前にして、不甲斐ない姿は見せられない」。
シード元年は、ますます気合が入りそうだ。

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