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スーパーヒーロー誕生?! 22歳の関藤直熙(せきとうなおき)が逆転V

ふたつ後ろの組の和田が、最終ホールのバーディを逃した。優勝が決まったその瞬間から、ポケットのスマホがブルブル震えはじめた。
「ラインが一斉に届きました」。
今大会は無観客で行われたが、2日間ともインターネットの生中継を実施した。
「みんな、見てくれてたんだ」と思って嬉しくなった。ファンの歓声や拍手は聞こえなくとも、思いはしっかり胸に届いた。

コロナ禍で、最初に開催に踏み切った男子ゴルフでプロ3年目の22歳が若き実力を爆発させた。

3差の10位から出た関藤直熙(せきとうなおき)が最終日にボギーなしの9アンダーで怒涛のラッシュ。
7番の3打目は、せっかくの好ショットもピンを弾いてバーディパットはカップから、10メートルもあったがこれを沈めた。さらに9番から5連続バーディで駆け上がると、和田とのV争いにもつれた。14番ではきわどいパーパットも拾って、先に1差の通算14アンダーで上り、後続の和田の結果を待った。

小1でゴルフを始め、広島国際学院高3年時には、ひとつ下にトップアマの金谷(かなや)拓実さんや、ふたつ下には弟で今はプロの侑嗣(ゆうじ)もいて共に全国制覇を達成。卒業後に豪留学で2年を過ごすと、18年にプロ転向した。
同年からアジア二部のADTツアーに挑戦して、翌19年に2勝。日本人初の”賞金王”に輝いた。

日亜ツアーの出場資格を得た今年は、掛け持ち参戦に燃えた矢先のコロナ禍だった。3月のマレーシア後に一時休戦。いったん帰国して、広島県福山市の実家で再開の時を待つ。
在宅中に、筋トレがてらにロードバイクを始めた。緊急事態の解除後に、しまなみ海道80キロ制覇に挑んだが、帰りに「大クラッシュ」。派手に転倒し、ヘルメットもサングラスも服もズル剥けでも、左手首の負傷だけで済んだのは「不幸中の幸いでした」。

待ちに待った今週の実戦では後遺症の懸念もあったが「試合に入ると不思議と普通に打てた」と、手負いの気配を微塵も見せない最終日の「61」は、自己ベストタイのコース新を記録。

2日間のエキシビション大会は、賞金ランキングへの加算もなく、渡航制限が解けない今は外国選手の姿もなかったが、日本のトップ選手はほぼ出揃った。
この日たまたま、関藤が勝負服に選んだお気に入りのポロシャツの胸元には「SUPER HERO」のロゴ。まさか、この日は勝つとは思わず、狙って着たわけでもなく、「なれるものならなってみたい」と、謙遜したが「これだけ上位選手が出る中での優勝は自信になります」と、控えめでも胸を張った。

表彰式の間もポケットのスマホはずっと震えたままだった。優勝会見の前にチラ見をしたら、家の近所にあるゴルフパートナーの店長さんからのラインも見えてニッコリした。
昨年、優勝したインドネシアのADTツアーで、うっかり優勝カップをロッカーに置き忘れて「来年、取りに行くよ」と、ATのスタッフに約束して離れたが、このコロナ禍でそれも先延べになっている。
「早く取りに行けたらいいなと思います」。
若くから、世界を飛び回ってきた逸材が、再び国境を心置きなくまたげるのはいつの日か。
  • 最終日は左から植竹、坂本の若き3人カート組。「坂本選手が凄く飛ばすので。今日は僕も振りがちでした ©JGTOimages
  • 左から。JGTO会長と石田・ゴルフパートナー社長と今は我慢の肘タッチ

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