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合宿2日目。谷口徹がいつもの調子を取り戻したきっかけは…
10日から、宮崎のフェニックスカントリークラブでスタートした谷口徹のオフ合宿。2日目のこの日は、いよいよ実践編。
久々のラウンドに、序盤こそ「もう大阪帰る…」と弱気なセリフを吐いていた師匠も昼食を挟んで後半は、大会時には10番ホールにあたる住吉コースの1番から出るなり、本領発揮。
この日初バーディで「つかんだ」とさらに3番、4番で連続バーディを奪ったころからショットにも冴えを見せて「勘が戻った」と、いつもの闘争心もむき出しに。
谷口主催のオフ合宿は、練習場やトレーニングジムでは和気藹々でも、いざコースに出れば、「そこは勝負の世界」。
一番弟子の武藤俊憲が解説してくれたところによると、まず試合形式のラウンドは、1ホールごとのチーム戦。
たとえば1番ホールではオナーと2番手、3番手と4番手が組み、次の2番では1,3番手と、2,4番手といったふうに、毎ホールでペアを変えながら、競い合う。
またパー3のホールではニアピンポイントも設定。ピンを狙って、果敢に攻める姿勢も問われる。
もちろん、新ルールを導入しマナーも厳守。トーナメントの練習ラウンド時によくあるような打ち直しや、試し打ちも禁止。1球1球、本気のショットはチーム戦の責任も加わり、本戦さながらのプレッシャーを味わうことになる。
「でも谷口さんは、僕とペアを組む時は、なぜかちょっと厳しい気がします」とこぼした武藤。チームのときは味方であるはずなのに、対抗心をむき出しにしてくる谷口には悔しいというよりもむしろ、頭が下がる思いがする。
前日10日には51歳を迎えた。
「それなのに、あの負けん気の強さ。いくつになっても若手に向かって本気で勝負を挑み続ける気持ち」。
本気で悔しがったり、本気で嬉しがったり、その姿勢こそが昨年、日本プロでメジャー最年長Vを飾った原動力になったのは間違いない。
今年の初回合宿は、師匠の誕生日ウィークということで、弟弟子の市原弘大と、計7日分の食事代をすべて2人で持ちますと申し出て、誕生日当日こそ快く受けてくれたと思ったら、2日目のランチ時には「後輩におごってもらったら調子が狂う」。
勝負にも響くと言ってきかず、結局2日目からまたいつものように、お勘定はすべて谷口のロッカー付けに戻ってしまった。
するとたちまちゴルフの調子も良くなり「やっぱり、奢るほうがいいね」と、ゴキゲンな師匠。復調のきっかけが「ゴチ」なんて。やっぱり、ただものではない。
毎年、恒例の宮崎合宿は、狭い枠にもかかわらず、参加したいと申し出る若手が引きも切らず、いつもその調整役に追われるのが武藤だ。
「武藤さんからお願いしておいてほしいんですけど…」と言われれば、リストに加え、3〜4回行われる合宿で、メンバーを振り分ける。
新顔なら、谷口のおめがねにかなう選手かどうかを見極め、うまく潜り込ませるという作業もいつしか武藤の大事な仕事になった。
中でもすっかり“常連”の市原は昨年、ここで劇的Vを飾った昨年覇者だが、武藤も堂々2011年大会のチャンピオン。
しかし「…そうだったっけ?」とあの時は、18番グリーンで手荒な水シャワーで武藤を祝ってくれたというのに、つれない師匠。
「大事なのは一番新しい勝利で、3年以上も昔はもう過去の話。自分のことだってすぐ忘れるのに他人の優勝なんて、覚えてられん」とは、いかにも勝負の世界に生きる者の考え方らしい。
2015年から、止まったままの7つ目の勝ち星。「僕も、頑張らないといけません」と、武藤。
この日は、住吉の2番パー3でピンにぶつけるあわやのティショットで師匠を唖然とさせるなどニアピンポイントでも稼いで“ラウンド初日”は、ポイント首位で勝利してみせた。
ひとまずこの7日間の合宿が無事終わったら、また自宅庭にあるアプローチグリーンの草むしりをしながら、シーズンインこそ師匠を再びあっ!!と言わせる秘策を練るつもりだ。