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〜全英への道〜 ミズノオープン 2017

あの頃の天才少年が…! 伊藤涼太が3アンダーで回る

あの頃、あどけなかった天才少年が、大人になっていた。
2002年の「ジョージア東海クラシック」で、最年少出場を果たしたときは、まだ12歳だった。

当時、史上最年少の予選通過を果たした2004年のサントリーオープン時は、まだ14歳と2ヶ月。

6週連続の予選通過を果たした2005年。同年のアンダーアーマーKBCオーガスタ(現RIZAP KBCオーガスタ)では6位につけて、史上最年少のトップ10フィニッシュを果たした。

2007年に、石川遼が史上最年少Vを飾るまで、天才ジュニアの先駆け的存在だった。
順調にスター街道を駆け上がるかに見えたが、股関節の椎間板を煩うケガと、ドライバーのイップスにかかると、2012年を最後にツアーにぱたりと姿を見せなくなった。

今大会は独自の予選会を突破して、2014年のデビュー戦(HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP)に続くプロ2試合目を迎えるまでの空白の5年は、トイレに座るのも困難だったリハビリ生活や、「日大4年目にタイやアメリカでミニツアーに出たり」と下積みを経て、「やっと、今年はチャレンジに顔を出せるようになりました」。

昨年は7度目のQT挑戦で、初めてファイナルまで進んだ。ランク66位は、「やっとここまで這い上がって来られた」。
華々しいジュニア時代と比べると、いまはまだまだギャップがあるが「あの頃は、何も考えていなかったので」。
しかしひとつ躓くと、とめどなく「ネガティブに、悪い方、悪い方へと物事を考えるようになってしまった」。

無邪気な少年時代は遠い昔でも、うんと逞しく成長した体に苦難を乗り越えてきた経験が加わり、ぐっと落ち着いた青年に成長していた。

今週は、平塚哲二や矢野東と練習ラウンドを共にして「球のコントロールとか、ツアーの難しいセッティングに通用するにはまだまだ」と、謙虚に臨む。

この日も、3アンダーの好スコアにも浮かれず「内容的にはひどい。ティショットは曲がっているし、今日のスコアが不思議なくらい。深いラフから、どうにかピンの近くに持っていけた」と、冷静に語った。

今は、とにかく試合勘を磨きたいと、昨年もエントリーした各地のミニツアーや地区競技は50試合以上。
「試合でしか経験できないことを、少しずつ克服していきたい」と、懸命だ。
27歳、独身。
「結婚は30歳以降に。今はゴルフに没頭してます」。
プロとして結果を出すまでは…!!

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