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第二の竹谷の誕生なるか?! 今年も“宮崎合宿”を開催

昨年のオフは、劣等感で一杯の選手だったのだ。副題に「オリンピックを目指して」とついてはいるが、それをふまえ、また少々の謙遜と自虐を交えて竹谷佳孝は言ったものだ。「そのあたりは眼中にない」。
「・・・というか、僕らレベルの選手が(オリンピックに)出たいです、というのはちょっと違うと思うんですよ」と、一緒に参加したふたつ下の後輩の甲斐慎太郎が語るかたわらで、竹谷もうんうんと、頷いていたものだった。

無理もない。当時の竹谷はツアー優勝の実績はおろかシード権もまだ獲れたことがなく、昨季はチャレンジトーナメントの賞金ランク2位の資格で34歳にして、やっとシーズン前半期の出場権を手に入れたばかりだったのだ。

中高と野球部で活躍するも、ひどい腰痛をきっかけに転身をはかったゴルフでは、地元広島県のゴルフ場で研修生から這い上がった叩き上げも、2006年のプロ転向後にはまた幾たびのケガに悩まされながら、「それでも腐らずに頑張ってきた」。その自負が、いよいよ花開いたのが昨年6月。

宍戸ヒルズカントリークラブは屈指の難コースで、大金星をあげた。その年のツアープレーヤーNO.1を決める「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」でツアー初優勝をあげた。

最終日は自ら「神懸かっていた」といった。長いバーディパットを面白いように沈めて手にした5年シードと、世界ゴルフ選手権の出場権。重ねた苦労を穴埋めするにも十分な優勝特典を得た竹谷は、その優勝会見で、オフに参加した「JGTOゴルフ強化セミナーin宮崎フェニックス・シーガイア・リゾート〜オリンピックを目指して〜」、いわゆる“宮崎合宿”での体験とその成果について、自ら語り始めたのだった。

「合宿に参加して、これまで自分が頑張ってきたことが、間違いじゃなかったと思えたことが大きかった。自信になった」と、竹谷は言った。
プロ9年目にして掴んだ栄冠を糧に、その後もたびたびV争いに絡んで、賞金ランクは10位で2014年のシーズンを終えて、その年一番の“出世頭”のひとりに名前をつらねた。
「自分はオリンピックを目指すレベルの選手ではない」などという謙遜も、もはや通用しない存在にまでのし上がった。

昨季の竹谷の活躍の原動力のひとつともなった“宮崎合宿”はこのオフも、選手たちの夢を乗せて今月26日からスタートする。今年もセガサミーグループのご支援を受けて、日本ゴルフツアー機構(JGTO)が主催するこの強化合宿には本年度より、新たな取り組みとして、高校ゴルフ連盟と連携してトップジュニア4人も参加する予定だ。

もっとも五輪代表に近い世代と言われる若い力のみならず、中堅・ベテランらの尽きせぬ野望が交錯する宮崎での5日間(計3回)が、間もなく始まる。ここからまた“第二の竹谷”の誕生なるか・・・・・・?!

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