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ダンロップ・スリクソン福島オープン 2014

福島で新たな歴史の幕が開けた

大会主催のダンロップスポーツ(株)の野尻恭・代表取締役社長から授かった優勝杯は実は20代目のチャンピオンの証しでもあった。
小平智が18番グリーンで高々とかかげた優勝杯は初代チャンピオンの証しでもありなおかつ、第20代目の覇者を称えるためものでもあった。
今年、新たに誕生した「ダンロップ・スリクソン福島オープン」は、地元有志が脈々と築いてきた伝統と、努力の結晶の上にある。

最終日には、前身の福島オープンが95年に当初はプロアマトーナメントとしてスタートしたころには考えられないような、5000人余の大ギャラリーを集めて、「前は親戚一同が集まるような大会でしたので。いやあ、こんなに来ていただいて、ほんとびっくり」と笑うのは、福島県プロゴルフ会の橋本日都プロだ。

昨年まで19年もの間、福島のプロとアマとの絆をつなぐトーナメントとして続いてきた福島オープンだったが「20回の記念大会は、なんとかレギュラーツアーとして開催できないものか」。
手塩にかけてきた大会を、さらに大きく成長させたい。橋本プロが、主催のダンロップスポーツのスタッフに、そんな構想を打ち明けたのは折しも3年前の2月。翌月に起きた大震災が、橋本プロらの思いを強くさせた。

大会そのものが、存続の危機を迎えたのはもちろん、震災直後は県内10以上のゴルフ場が閉鎖され、風評被害にあおりを受けて、年を追うごとにさらに経営を断念するコースが増えて、高まる危機感。
「男子ツアーを通じて、福島は元気なんだと伝えなければ」。その思いを胸一杯にこめて、大会にこぎつけた。

限られた予算に苦しい資金繰りもダンロップスポーツが、13年からスタートさせたゴルフ人口増加プロジェクト「+G(プラス!ゴルフ)」とのタイアップをはかり、オフィシャルパートナーの「住友ゴム工業」や地元発祥のスポーツ専門店「ゼビオグループ」や美容サロン「ミュゼ」をはじめとする120社を超える地元企業や団体、行政の力を借りて、この日を迎えた。

レギュラーツアーとしては“1回大会”も、地元に根付いた年に一度のオープン競技としては、記念すべき節目の“20回大会”でもある。

優勝杯は、これまで19人のチャンピオンを刻んだものを、そのまま継承していく。

地元の支えで続いてきたローカル色も引き継いでいけるよう、各地で予選会を開き、さらに最終予選会を「東北チャレンジ」と称してその上位選手に出場権の機会を与え、プロ、アマともに地元選手に広く門戸を開ける配慮もされた。

記念大会には多くのシード選手が福島に入り、その豪打にあちこちで人々の歓声があがる様子は一部壊滅的な被害を受けた、あの日のここグランディ那須白河ゴルフクラブとしても、考えられない光景だった。中には初めてゴルフを見るという子たちもいて、豪快なスイングに無垢な瞳を輝かせた。トッププロたちが福島にでっかい夢を運んできた。

橋本プロには、世界6カ国もの海外選手たちが、大勢来てくれたことも嬉しい。「だって“フクシマ”は元気なんだ、と。世界に向けても発信できたということじゃないですか。きっと彼らも国に帰れば家族や友達に“フクシマ”は大丈夫なんだよと伝えてくれる」。橋本プロは、そう信じている。

そして橋本プロ自身も主催者推薦を受けて、98年はここ福島で行われたアコムインターナショナル以来のレギュラーツアー参戦を果たすことができた。今年還暦を迎えたシニアプロには酷暑も重なり、非常にタフなコンディションに、戦いは2日間で幕を閉じたが「選手として、記念すべき1回大会の雰囲気を味わわせていただけたことに、心から感謝をしたい」。
歴代の選手会長の宮本勝昌は、「大会の開催に相当のご尽力をいただいた。橋本プロに感謝したい」。
前身の福島オープンの出場経験も豊富な細川和彦は「最初は小さな大会も、力を合わせればこれだけ大きく出来るんだな、と。凄いよね、嬉しいよね。ずっと長く続いていければいいよね」。
歴史はいま始まったばかり。これからさらに一丸となって、新たな20年を築いていく。
  • たくさんの方々に支えられて誕生した今大会。女子プロの古閑美保さん、井上透プロコーチもアンバサダーとして盛り上げて下さった
  • 福島県プロゴルフ会の橋本日都プロ。残念ながら決勝ラウンドには進めなかったが主催者推薦で、記念大会を味わった。

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