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HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP in 霞ヶ浦 2013

初代チャンピオンは呉阿順(ゴアジュン)【インタビュー動画】

栄えある初代チャンピオンに輝いたのは、中国の呉阿順(ゴアジュン)だった。暗闇のプレーオフから約1年。ツアー通算2勝目は、嵐の最終日を制した。

この日は4つのリードで出たと言っても、ごうごうと風が音を立て、旗は折れんばかりにしなり、ショットのみならずグリーン上のボールさえ、風に持って行かれないかとどの選手も神経をすり減らす我慢比べも時間を追うごとに、厳しさを増していく中で、そんな最初の大差もあってないようなものだった。

前半こそ辛くも首位を守ったが、後半からやにわに怪しい雲行きに。11番から連続ボギーを打って、同じ最終組の金亨成(キムヒョンソン)と、小田孔明に隙を与えた。

そこから懸命に逃げ続けたが、ついに土壇場で金に追いつかれた。17番パー4で、ティショットを左に曲げた。そこから、ピンまで168ヤードの2打目は「刻むか、攻めるか。斜面からのショットは非常に難しい選択でした」と、一瞬の逡巡も、6番アイアンで「攻める」と決めた決断に、今でも後悔はない。

それでも、深いラフから「力負けした」というショットは、シャンクのような球になり、右の池へとまっしぐらに沈めば、「最悪のシナリオも考えた」と、昨年の再現も頭をよぎったという。

ツアー初優勝をあげた昨年9月の「TOSHIN GOLF TOURNAMENT IN 涼仙」は、最終ホールで池田勇太とタイスコアで並んだころには、度重なる競技中断のために、すでにとっぷりと陽も落ちて、暗闇の中のプレーオフは、実に4ホールの死闘となった。

「あのときのように、今日もまたプレーオフになるかもしれない」。金と並んで迎えた最後の18番は、動揺を押し隠して、自分に「落ち着け」と、言い聞かせて521ヤードもの長いパー4は、最難関の最終ホールこそ、いよいよ危なげなくパーを拾って、ついに自身2個目のウィニングボールに歓喜のキス。その手を曇天空に向かって嬉しそうに突き上げた。

この「HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP in 霞ヶ浦」は「全ての人に感動を、夢のある開かれた日本最大のプロゴルフトーナメントを目指して」とのコンセプトを基盤に今年、新たな一歩を踏み出した。大会を通じ、ゴルフスポーツの健全な発展と、更なる普及を図るさまざまな取り組みなども、日本語があまりうまくない呉には当然、そこまで込み入った内容は知らなかった。

しかし、昨年は日本で初の中国人チャンピオンに輝いた自分が、このビッグトーナメントで2勝目を飾ったことで、母国で将来のインターナショナルプレーヤーを目指す若者たちにどれほどの影響を与えるか。それを想像したときの呉の喜びと期待は、奇しくも大会の目指すところと重なった。

「僕が優勝することで、いま国内で頑張っている子たちにも、日本ツアーの素晴らしさがきっと伝わると思うんです」と、呉は言った。優勝副賞は、なんと豪華にメルセデスベンツの「G550」はもちろん、開催コースの地元・美浦村でとれた日本のお米2俵も嬉しい。本格来日3年目にして大好物になった「スシ」も含めて「中国の若者たちに、これからは僕が日本の良さをもっと伝えていければ」と、これを機会にいっそう日中ゴルフの架け橋となるつもりだ。

近々母国にも、中国PGAツアーが発足して、ゴルフ人気はますます高まるはずだ。世界に出ていく中国の若者たちも、ますます増えていくだろう。「今年のQTを受験している選手も多いし、来年以降は日本ツアーにも、もっともっと中国の若い選手が増えて、一緒に戦っていければいい」との青写真を描く。

この新規トーナメントは、記念すべき第1回大会から賞金総額もビッグに2億円。国内ツアー最高額の優勝賞金4000万円は、「僕のゴルフ人生においても最高額であることは間違いがありません」と、その使い道は、頭を巡らせるまでもなくもう。決めてある。「母国のゴルフ団体に寄附したい」。

がっしりとした183㌢の長身は、地元の福建省でスカウトされた。呉がいちから手ほどきを受けたゴルフ学校は、今や上海と深センを拠点に、若者たちが明日の呉を夢見て、練習を重ねている。「ぜひ彼らの役に立ちたい」とこの勝利をきっかけに、自分も後進の育成にいっそう力を入れていくつもりだ。

2週後には、兄貴と慕ってやまない梁津萬 (リャンウェンチョン)と挑む、自身初のワールドカップ。「この勢いでぜひ結果を」と28歳が、武者震い。「兄貴もいま調子が良いと聞いているから。またすぐに、母国にサプライズニュースをお届け出来るかもしれません」と、このツアー2勝目で弾みをつけて、堂々と世界に飛び出す。


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