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マンダムルシードよみうりオープンゴルフトーナメント 2004

96年大会のチャンピオン、福永和宏が復活のチャンス

この日初日のペアリングは、杉原輝雄と同じ組。今週14日(月)、67歳の誕生日を迎えたばかりのドンは、福永の父よりまだ5歳も年上だ。

大ベテランはティショットで、若手に50ヤード以上も置いていかれながらも決してプレーを投げず、粘り強くホールを重ねていた。

それを間近で見ていた福永は、頭が下がる思いだった。そして、自身を省みた。

「このところ、自分の思い通りのゴルフができなくて、あきらめがちだったんです。でも今日、自分のお父さん、と呼んでもいいくらいの杉原さんがあんなに頑張っていらっしゃるのを見ているうちに、『まだまだ、俺も子供だな』って。自分が恥ずかしくなったんですよ」。

気合を入れなおしたバック9で、ボギーなしの4バーディ。66の6アンダー首位タイに、「また勝ちたい」という気持ちも、ふつふつと沸いてきた。

今大会の歴代チャンピオンだ。

東京の若洲ゴルフリンクスで行われた96年大会(当時名称ポカリスエットよみうりオープン)で、トッド・ハミルトンとのプレーオフの末、ツアー初優勝をあげた。ときは全英オープン日本予選の真っ只中。その資格で、初のメジャー戦にも挑戦した(結果は予選落ち)。
いま振り返ると、本格参戦1年目にして、そうやってさまざまな経験ができたことが、逆に苦労の始まりとなってしまったかもしれない。身長164センチと小柄で、もともとあまり飛ばすほうではなく、アプローチとパットでスコアを作るタイプだったが、世界レベルを見てしまったことで、「このままではいけない・・・」。スイング改造や飛距離アップに着手したことで、すっかり自分のゴルフを見失い、翌年にはシード権の保持どころか、出場資格まで失ってしまったのだ。
出口の見えないトンネルに迷いこんだとき、親しい人から言われた。「例えるならば、おまえはホームランバッターでなく、1番バッターが似合う。だからゴルフも、お前らしくやればいいんだ」。
その言葉に、「そうだ、自分の持ち味を生かしたプレーをしよう」と考えを改めたものの、時すでに遅く、“修復”に思いのほか時間がかかってしまい、今年、ようやく出場権を取り戻した。
チャレンジツアーランク3位の資格で、今年は開幕からフル参戦。7年越しに体験する久しぶりの転戦は、「楽しくって仕方ない」と、トーナメントの醍醐味を、いま存分に味わっている。
「ブランクはあるし、まだまだ、攻めのゴルフはできていないけど、今年は、自分のゴルフで勝負したい」。
長い苦節を経て、再び新しい第一歩を踏み出すのに、今大会ほどふさわしい復活の舞台はない。

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