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谷口徹が地元奈良県の児童養護施設を訪問(3月23日)

3月も、もう23日というのに、愛車の外気温を調べてみたら3.5度。にもかかわらず寒空の下で、子供たちはみな玄関の外に出て、自分の到着を待っていてくれた。だからカーナビがそうと告げる前に、遠目からでもそこが目的地だということが、谷口には分かった。

園庭の駐車場に車を止めて、急ぎ足で子供たちのほうへと向かいながら、思わずつぶやく。
「こんなに寒いのに待っててくれたんや・・・・・・嬉しいなあ!!」。
さっそくみんなでパターゲームに興じた。少し緊張がほぐれたころに、子供たちが演奏してくれたハンド・ベル。みんなで鑑賞したDVDは、谷口が昨年5月にツアー通算16勝目をあげた、日本プロゴルフ選手権の優勝シーンだ。

このとき受け取った優勝副賞の「日清のカップヌードル10年分」は、さっそく自身の地元・奈良県の児童養護施設と母子生活支援施設に寄付した。

この日、谷口が訪れた嚶鳴(ようめい)学院(奈良県五條市)も、そのうちのひとつだ。そしてこの日、ハンド・ベルの伴奏に使われた「ヤマハ電子キーボードpiaggero(ピアジェーロ)」は谷口がもうひとつのプレゼントとして、昨年のクリスマス・イブに子供たちに贈ったものだ。

奈良県内では毎年2月に地元の養護施設が一堂に会し、文化発表会が行われるという。嚶鳴学院ではいつも銭太鼓の演奏を披露してきたが、今年の出し物は「ぜひ、谷口さんにいただいたピアノを使ったものにしたい」と、みんなでアイディアを出し合ったという。

ハンド・ベルの美しい音色から、子供たちの溢れんばかりの感謝の気持ちが伝わってきた。
「どうしてあんなにきれいな音が出せるんだろう。みんな相当、練習してくれたんだね」と、43歳の胸にもジン・・・ときた。

これまで19年のプロ人生で、「ゴルフから受けた恩恵を還元したい」と、その年の獲得賞金の一部を地元の、また、自らも二児の子煩悩な父親にはとりわけ思い入れの強い、子供たちへの寄贈を始めたのは2006年。そしてシーズンオフには必ず寄贈先に出向き、子供たちとの触れ合いの時間を作ることを身上にしてきた。

「プロゴルファーがやってくる」と、言われてもピンと来ない児童も、同学院の増田敦子・理事長が、「去年カップ麺を贈ってくださった方が、みんなに会いに来てくださるのよ」と言うと、声をあげて喜んだという。

DVDの映像が、優勝副賞の受賞シーンにさしかかったときに、谷口は尋ねてみた。
「みんな、あのカップ麺、食べてくれた? 美味しかったかな?」
「美味しかったです!」と、いっせいに元気な声が返ってきた。こんな些細なやりとりが、どれだけ自分を奮い立たせてくれることか。「子供たちの元気な笑顔を見ることが、僕のエネルギーでもあります」。また、目標や夢を持って生きる楽しさを、子供たちの目を見て語りかけることの大切さ。みんなで一緒に夕食を囲みながら交わす他愛のないお喋り。

「プロはどんなトレーニングをしてますか」
「何歳からゴルフを始めましたか?」
「子供のころ、野球はどこを守っていましたか」
「1打で入れるショット(ホールインワン)は、何回しましたか」
「初恋は、いつですか・・・?!」。

さかんに飛びかう質問。子供たちが積極的に語る夢。それらを直接この耳で聞くことがシーズンの開幕を待ちわびる自分にも、どれほどの勇気を与えてくれることか。

なんらかの事情で親と一緒に住めない子供たちは、全国で4万人を越えるという。このたびの大災害で、そんな子供がまた増えると思うと、谷口にもいたたまれない思いがする。まして、ここに身を寄せ合う子供たちも、ことさら口には出さないが、ひそかに自らの境遇とを重ね、このたびの大震災に心を痛めていることを、増田理事長もひしひしと感じている。
同学院ではみんなでお見舞いの品を持ち寄って、東北地方太平洋沖地震で被災した子供たちに送ったという。
そんな心優しい子供たちの前で、谷口は約束した。
「これからも、プレーしている姿をみんなにテレビでたくさん見てもらえるよう頑張ります。応援してね・・・・・・!!」。
  • 最初は緊張気味の子供たちも、最初のパター合戦で一気にほぐれて
  • 電子ピアノの伴奏により、子供たちが奏でるハンド・ベルの美しい音色に聞き惚れて・・・
  • 楽しい夕食の時間はプロへの素朴な疑問が飛び交って。

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