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“小田先生”が教壇に立ち、子供たちに伝えたかったこと!(その1)・・・小田孔明③

5限目にあたるこの時間は、「夢を持とう」をテーマにした小田の講演会。
前日までに話したいこと、伝えたいことを紙にしっかり書いてきた用意周到の小田だが、校長室で休憩時間を過ごしている時、ふと黒板にチョークで字がうまく書けるかが気になりだしたようで、予行練習をしていたおちゃめな一幕も。

チャイムが鳴ると音楽室に移動し、まず始めに、小田が昨年開幕戦でツアー4勝目をあげた東建ホームメイトカップの映像を子供たちに紹介。プレーオフを制し大会2連覇達成のシーンに、子供たちの拍手と黄色い歓声があがった。「すごい!かっこいい!」と言われ、小田の目尻が下がる。

それから、子供たちを見つめながら、自身の歴史をゆっくり語り始めた。

7歳(小学校1年)の終わりに、父親がゴルフをしている練習場に連れていってもらったのがゴルフを始めたきっかけ。11歳(小学校5年)で『プロゴルファーになる』という将来の夢を自分で決めて、その夢達成のために小学校1年から中学校3年まで体を鍛え続けた。
学校から帰ってくると、1日にスクワットを300回、腹筋300回、腕立て300回、背筋300回、さらに5キロずつの鉄アレイを300回。これを月曜日から金曜日まで、風邪や病気の時以外は毎日欠かさず行った。11歳の時に、トレーニングが嫌で親に隠れて遊びに行こうと逃げ出し、自転車で交通事故に遭い死にかけたこともあったが、“プロゴルファーになりたい”という明確な目標があったから、その後も厳しいトレーニングを続けられたという。
すべてのトレーニングに費やす時間は約5時間かかったといい、夕方4時くらいから始めて、終わるのが夜9時。
その後やっとゴハンを食べることが許されたという驚く話に、子供たちは真剣な表情で耳を傾けていた。

小田は12歳で初めて九州ジュニア大会の小学生の部で3位になり、ここで少し自信がついたという。
中学生に上がった時に、人生で初めて坊主になったという笑えるエピソードなども交えながら、話は高校時代へと続く。
15歳(中学3年)で九州ジュニア大会で3位になったことで、初めて全国大会である日本ジュニアに出場。その後、16歳で単身、千葉県浦安市にある高校に入学。17歳(高校2年)で全国大会団体戦で優勝、日本ジュニアで5位になり、初めて世界ジュニアにも出場し外国人選手と戦った。
そんな海外参戦の経験から、今から先、どんなスポーツでも仕事でも、世界でやっていこうと思ったら、中国語と英語を覚えた方がいいと子供たちにアドバイスを送った。

18歳になり、大学に進学する道もあったが、“早くプロになって稼ぎたい”という気持ちが強くなり、推薦をもらえた大学を全て断って、九州に戻る。
しかし19歳の時に、ゴルフの練習のし過ぎで腰を痛め、半年間ゴルフクラブを握れない苦悩の日々を過ごした。その時に初めて「これじゃいけない」と思い立ったという。
近くのゴルフ場で研修生となり、そこで、今でも師匠であるプロゴルファーに出会い、本当のプロゴルファーとはこんなに強くてすごいのかと知ることになった。

小田は22歳までの3年間、プロテストを受けなかった。
その理由は、本当にプロとしてやっていけるのかと自分に問いかけ、3年間じっくりゴルフ場で力をつけて、今の実力ならプロになれるという自分に確信をもってからという考えがあったからだ。
そして22歳の時にプロテストを受け、1回で無事通ることができたのだが、そこには今でも忘れることができない姉との秘話があった。
当時お金が無かった小田は、自衛隊の衛生隊(看護婦)である姉にプロテストを受けるためのお金を借りたそうだが、小田は見ての通り体が大きかったため、お金を貸してあげる代わりに、もしプロテストに受からなかったら、ゴルフをやめて自衛隊になりなさい、という約束だった。
“これだけゴルフやってきたんだから絶対プロゴルファーになりたい”という強い思いで小田は死に物狂いで頑張り、見事に1回で合格できたという。

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