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これぞまさに内助の功、小田龍一の初優勝を体を張って支えた妻

妻も改めて惚れ直す、堂々とした戦いぶり
2003年に結婚してからというもの妻は豪雨の日も、飛ばされそうな嵐の日も、真夏の灼熱地獄も、真冬の凍える寒さにも、夫が試合に出るとあらばツアーでなくとも、どんな小さな地区競技にも駆けつけ、全ホールついて歩いた。

それは、一見ほっそりとはかなげで、風が吹けば飛んでいきそうな可憐さの、どこにそんなパワーが潜んでいるのかと思うほどの献身ぶりである。

確かに、学生時代は陸上競技とバトミントンでならしたというが、本人も「それでも、こんなに歩いたことはありませんでした。結婚するまでは、歩いて1分のコンビニにも車で行ってしまうような面倒くさがり屋でもありましたから」と、笑っていたからそれこそがまさに、愛の力か。

そして、競技が終われば一足先に宿に戻り、洗濯や夫の身の回りの整理に追われる。

改めて、優勝インタビューでそんな世話女房を紹介した夫は、「優子といいます。優勝の優です。ハハ、やっと言えた」と、満面の笑みで目を細めた。

今までは「優しい子と書きます」と、紹介していたものだが「そんなに優しくもないのにねえ」と、本当は思ってもないジョークで笑わせた。

ゴルファー日本一決定戦でのツアー初優勝は弟の新さんのサポートともに、まさに内助の功だった。
少しでも観戦ホールをショートカットしようものなら「サボってたでしょう」とすねる夫のために、この日最終日もいつものようにつかず離れず歩いていたそのときだった。

「危ない!」という悲鳴に優子さんが気がついたときには飛んできたボールはもう、目の前に迫っていた。とっさに身をかわした時にはすでに遅く、左肩をダイレクトに直撃。

8番パー4のティショットで、チーピンを打った夫の球だった。
最終日は1万7687人の大ギャラリーがコースを埋め尽くし、スタートから小田は、気が気ではなかった。
めっぽう飛ぶが、その分よく曲がるだけに、「お客さんに当たるのではないか、と」。
優勝争いの緊張とは別に、そんなプレッシャーを感じながらのラウンドだったのだが、不安が的中して、被害者のもとに駆け付けるなり絶句した。

「まさか、あんな大勢の中で、嫁さんに当たるとは」。

しかも、優子さんに当たっていなければ、ボールは林の中で脱出不可能だったかもしれない。
それが、なんと30ヤード近くも跳ねて、フェアウェーのど真ん中まで出てきた。
そればかりか次にグリーンエッジまで200ヤードの第2打はバンカーに入れたが、左足だけ外に出すという不安定なアドレスから一転、夫はチップインで、この日3つめのバーディを奪ったのだ。

奇跡という言葉だけでは片づけられない、不思議な夫婦の赤い糸。
本当は、その場にしゃがみ込みたくなるほどの痛みをこらえ、夫に笑顔で「大丈夫」と応えていったん引き上げ、医務室で応急処置を受けた優子さんは、すぐにコースに引き返し、ずきずき痛む患部を氷嚢で冷やしながら、なんと残り9ホールも最後まで回りきった。
さらにプレーオフ2ホールに挑んだ夫の晴れ姿を見届けた。

涙をこらえ、地元・鹿児島県の実家で吉報を待つ夫の母のかすみさんにまず真っ先に電話で優勝を報告しているうちに、我慢しきれずに号泣した。

日本タイトルでのツアー初優勝は、そんな心優しい妻に報いる何よりの恩返しとなった。
毎日、ラウンドについて歩くのも「優勝するまでだね」と、話し合ったこともあった。
毎年、夫は「今年こそ」と約束してくれたが待たされすぎて、そのうちそんな話しも出なくなり、優子さんもやめるにやめられなくなって9年という月日が経った。

18ホールをついて歩くことも、優子さんにとってはもはや、妻としての大事な仕事のひとつになっており、こうしてふいに勝たれると逆に戸惑ってしまう。
「来週から、どうしましょうかねえ…」と、優子さんは思案顔に言ったがきっと来週も再来週も、やっぱり小田のそばには愛妻の姿があるような気がする。
「うぅ〜ん、そうなりますかねえ……」と、言ってチャンピオンの妻は本当に幸せそうにはにかんだ。
  • 優子さんは、はらはらどきどきしながら、怪我にもめげずに夫の雄姿を最後まで見守った
  • 表彰式で、夕暮れの空を見上げて喜びにひたる
  • キャディで弟の新さんと2人一緒に優勝杯を握りしめ、改めて喜びを分かち合う。まさに家族に支えられて勝ち取った日本タイトルだった。
  • そして悲願のツアー初優勝をあげて、やっと言える。「僕の嫁さんの優子です。優勝の優と書きます!」(小田)

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