Tournament article

日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ 2005

7月2日(土)は、第5回JGTOゴルフトーナメント功労賞表彰式!

日本のゴルフトーナメント界の発展に多大なる貢献をした方を表彰し、その功績を永くたたえる趣旨で2001年に設定した「JGTOゴルフトーナメント功労賞」は毎年、ここ日本ゴルフツアー選手権の会場でその受賞者を、表彰してまいりました。

5回目を迎える今年は、ゴルフジャーナリスト14名と、ジャパンゴルフツアー選手会理事のJGTO理事会メンバー4名の選考と、日本ゴルフツアー機構公式ホームページにおいて、ゴルフファンのみなさまに投票いただいた結果、往年の名プレーヤーである故・小野光一氏に決まりました。

小野氏がプロゴルファーを目指して、旧満州(中国東北部)の大連から日本に渡って来られたのは、1937年(昭和12年)。ちょうど戦争の影が、忍び寄ってきたころでした。

はじめ霞ヶ関CCで1年間を過ごした後、程ヶ谷CCに移って修行を積まれ、のちに“フェアウェーウッドの名手”と呼ばれる下地を築かれました。

小野氏の初タイトルは、1949年(昭和24年)の関東プロ。30歳と意外に遅かったのは、戦争で競技が中断されていたためです。

その後、日本オープン、日本プロ、関東プロと優勝を飾り、さらにその名を不動のものにしたのが、1957年(昭和32年)、霞ヶ関CCで行なわれた第5回カナダカップ(現ワールドカップ)。小野氏38歳のときでした。

1955年(昭和30年)の日本オープン優勝後、孫士鈞から小野光一と名乗るようになったあと、カナダカップの日本代表に選ばれたことについて、「私を日本代表にみとめてくれたことが大変うれしい。国のために絶対頑張る」と、大いに燃えたそうです。

同カップはサム・スニード&ジミー・デマレの強豪を擁する米国が優勝候補の筆頭でしたが、小野氏と中村寅吉氏が組んだ日本チームはその米国に9打差をつける圧勝で、見事団体優勝をあげました。

この“快挙”は、霞ヶ関CCで修行を積んだ経験を生かし、難しい高麗グリーンを適確に読むとともに、上空はアゲンストでも地上はフォローといったコース特有の厄介な風向きなどを熟知していた小野氏の存在なくして語ることはできません。

個人優勝を飾った中村氏は「小野君にずいぶん助けられた」と語り、小野氏自身も個人戦5位の成績を収められました。

この優勝をきっかけにして、日本にゴルフブームが沸き起こり、日本のゴルフトーナメント界の発展に大いなる貢献をした偉人として小野氏の名前が長くとどろくことになったのです。

授賞式は、第3ラウンドのスタート前。9時前後を予定しております。
日本ゴルフツアー機構はゴルフファンのみなさまとともに、小野氏の偉大な功績をたたえたいと思います。

    関連記事