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日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ 2002

★ 小山俊一

 ゴルフを始めたのは、小学生のころ。
 当時、「ゴルフに狂っていた」サラリーマンの父親に、勧められるままクラブを握った。
 初めのうちは、学校の剣道部で汗を流すかたわら、たまに、父の練習につきあう程度のものだったが、高校卒業をするやいきなり「プロになる」。
 そんな小山に、いちばん面食らったのは、あんなにゴルフを推奨していた、父親のほうだった。
 「ゴルフを楽しむのはいいが、職業にするのはいけない」と、猛反対。
 「もっと安定した仕事を」と何度も諭されたが、小山は、「お父さんのような“サラリーマン”ではない生き方をしたいから」と振り切って、この道に進んだのだった。

 結局、その後1年もたたないうちに、その父がガンで亡くなり、小山は、一家を支える立場になった。
 プロの道は断念せざるを得なくなり、インストラクター資格やグリーンキーパーの資格を取って、生計を立てることになったわけだが、このときの経験が、今年3年目になる競技委員の仕事に、役立っていることは間違いない。
 今年のマンシングウェアKSBオープンでは、初めて、ツアー競技の競技委員長を務め、コースセッティングにも携わった。
 最終日は、久保谷健一とトッド・ハミルトン、福澤義光の3人によるプレーオフ。
 決着は、1ホールでつかず、久保谷とハミルトンの4ホールにも及ぶ激闘。たくさんのギャラリーを興奮の渦に巻き込み、大会は、成功裏に終了した。
 「開催前から、心をこめてセッティングしたコースで、選手たちがこんなに息詰まる展開を繰り広げてくれて…。たくさんのお客さんにも、喜んでいただいた。…感動でしたね」と小山。
 この大会をきっかけに、これからも、多くの経験を積んで、JGTOの競技委員として信頼を深めていこうという思いを、強くした。
 1年のほとんどがホテル暮らしという不規則な出張生活は正直、堪えることもあるが、父親の言うとおり、安定したサラリーマン生活を選んでいれば得られなかった充実感が、そこにはある。
 「プロになるという夢は反対されたけど、もとはといえば、ゴルフ界への道を切り開いてくれたのも父でした。今では、とても感謝しています」
 亡き父への思いを胸に秘め、小山は、今日も生き生きと、コースを駆け回っている。