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東建コーポレーションカップ 2001

脱サラゴルファー、金城和弘が2位タイ

昨年はフィリップモリスの17位タイが最高だった金城が、2ラウンド目を3バーディ、1ボギーでまとめ、通算5アンダー2位タイで決勝ラウンドに進出した。

「今は福岡に住んでますが、出身が沖縄なので寒いのは苦手です。今年から、新しくウェア契約したのに、半そでばかり持ってきてしまって、結局、今週のウェアは自前です(笑)。

初日は、予選通過が気になっていたんですが、今日は意識せず、落ち着いてラウンドできましたね。グリーンを外したのもボギーにした11番だけでした。
下半身を8割、上半身2割というオフのトレーニングがよかったのだと思います。それと今年から使っているアイアンがマッチして、パーオン率が去年より上がっていますね。新しいクラブは、ヘッドが大きめで構えやすくて、フック、スライスが打ち分けやすい。ほとんどショットが1ピンに寄っていましたから。
ショットは悪くないので、後はプレッシャーにならないように頑張りますよ」

金城和弘プロフィール
興南高校(沖縄県)時代は高校球児。2年と3年のとき、県大会で2度とも、強豪の沖縄水産高校に決勝戦で敗れ、甲子園出場の夢を叶えられなかった。
卒業後、地元の琉球銀行に勤め、接待のために、22歳でクラブを握らざるをえなくなり、ゴルフを始める。
野球は、社会人も続けるつもりでいたのだが、「残業ばかりで、野球ができるのは土曜と日曜だけ」というサラリーマン生活に、ウンザリしているところに、行きつけの練習場の支配人から「バネがあるからプロを目指してみれば」と勧められたのを機に、退職の良い理由になると思い、プロ入りを決意。
ツアープレーヤーを目指し、研修生になったのは24歳のときのこと。
『3年でプロになれなかったら諦める』と決めて、西日本カントリーで3年契約で就職し、93年にプロテストに合格した。

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