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日本プロゴルフ選手権大会 2000

今大会独自の予選会31位で出場権を獲得。今大会は初出場の清家一生

15ミリ以上のラフが生い茂るコースで、平均飛距離290ヤードの清家一生がドライバーを封印。「使ったのは4回だけ。このコースではとにかく刻んで、ムリをしないこと」に徹して、2アンダー7位タイと好発進した。

 180センチ、88キロ。学生時代、野球部で鍛えた自慢の体から繰り出すショットは豪快だ。かつて行われていたPGA公認ドライビングコンテストで308ヤードを記録して、優勝賞金200万円を手にしたこともある。

それだけに、どんなに抑えようとしても、飛ばし屋の虫がのぞくことも。
11番パー4では、「つい、ラフからの第2打で直接グリーンを狙いに行って」(清家)ボギー。「それで、やっぱりここはムリしちゃだめなんだ、と肝に銘じましたね」と、改めて手堅いプレーを心がけたという。

 それでも、ラスト18番のパー5ではストレス発散だ。残り182ヤードを6番アイアンでピンハイ3メートルに乗せると、これを沈めてイーグル。すっきりした笑顔であがってきた。

 今大会が独自に行った、出場予選会を勝ち上がってきた。3月28日〜29日の最終予選では31位で出場権を得てのこれが“初大舞台”。好スタートを切って、「良い気分です」と清家。「昨日の夜、食事中には、先輩の室田(淳)さんに、『このコースはフェアウェアーにボールがあれば、バーディチャンスにできる』とアドバイスされたのが、よかったと思う。もっとも、明日からはどうなるかわからないけど…。2日目以降も『ムリせず狙わず』かな」と、作戦は変えるつもりはない。

★ 清家一生
大阪のPL学園野球部が甲子園で2年連続優勝をはたした年に内野手として活躍していたが、出場目前に右手親指を骨折。選抜入りできなかった。
その後、川崎製鉄・野球部に進むも、やはりケガにたたられ野球の道を断念した。高校時代の同期には、元巨人軍の吉村禎章さんが、社会人時代には同軍の宮本和知さんがいる。
ゴルフに目覚めたのは22歳のとき。部内コンペに参加してその面白さを知り、ゴルファーへの転向を決心した。1992年プロテスト合格。1964年9月16日生まれの35歳。兵庫県出身。180センチ88キロ。