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アールズエバーラスティングKBCオーガスタ 2014

藤田寛之が悲願の地元V【インタビュー動画】

45歳が大壁(たいへき)になった。最終組の2時間も前に上がった藤田。いち早くマークした通算12アンダーの壁を、誰も破れない。大混戦の末に最終組の梁津萬 (リャンウェンチョン)一人が並ぶのでやっと。

プレーオフになった。計5ホールの激闘は「どう見ても僕が負けてる展開」とは確かに、春先から左肩に痛みを抱え、そこにショットの不調が重なり、「原点回帰」と懸命に取り組んでいるフェードボールはしかしまだまだ完成途上に加えて、サドンデスの18番ホールは「左サイドが絶対にダメで」。逃げの気持ちも重なって、藤田のティショットはことごとく右へ。本戦の18番も含めて5ホールとも型ではめたように、ほぼ同じラフの窪みに落としたのは、ある意味それはそれでまた凄いのだが、形勢は明らかに不利なのに、「どうして僕が勝てたのか」。

強いて上げるならまずは1ホール目に4メートルの渾身のパーセーブで切り抜けたことと、梁(リャン)がどれも3メートルのバーディチャンスをことごとく決めきれなかったことだろうか。「僕は何もしていない。常に僕がリャンさんのバーディ待ちという状況で、よく勝てた」。

予選2日間は手嶋と、孔明との県勢対決もあとの2人が予選落ちを喫して、なおさら一人の肩にのしかかる地元ファンの期待。「手嶋さんと孔明の分まで頑張って、という声がたくさん聞こえた」。毎年ここ芥屋に来ると感じる。「勝ってくれ」との声援。なんとか応えたいと思い続けて22年。この日最終日も、ずいぶん待たせた。「ショットでバシっと決めなくてはいけないのですが」と、初めてフェアウェイを捉えた5ホール目にやっとこ決着をつけたことには恐縮しきりで、本人も悲願の地元初Vも、その間、2度もピン位置が切り替えられたほど、「時間がかかってしまって申し訳ありません!」。

何よりいちばん大事な人を、待たせすぎたかもしれない。中学生のころ、父親の寛実さんに連れられ福岡県東区香椎の実家から、地下鉄とギャラリーバスを乗り継いで初めて見たのがこのトーナメントだ。「中村通さんや青木さん、中嶋さん」。寛実さんに言われるまま、ラウンドについて歩いて芽生えた憧れ。「僕も、プロゴルファーをやっている間に一度は勝ちたい」。92年のプロ転向から本人が、焦がれ続けた以上に、この瞬間を待っていたのが寛実さんだ。

前夜は実家で久しぶりに食卓を囲んでも、「お前は今日はまた、なんで16番でダボを打つかな?」。子どものころからめったに褒められたことがなく、「会えば文句ばっかり」とムクれる息子。最終日を前に、首位と6打差の17位タイまで落ちて里帰りの息子には、「今年も無理だな」とは、それは本人も、内心はまさか明日は勝てるとは思わないまでも、「せっかく帰ってきてやったのに」と、わざと憎まれ口も、父親の思いは痛いほど分かる。

「これまで16回の優勝でも、涙したことなんかないのに」と、思わず言い訳。「父親のことを聞かれたので」と、本人はまるでインタビュアーに水を向けられ、泣かされたような言い方をしたが、優勝会見で自分から「出来れば・・・」と切り出し、そこから後はたちまち声を詰まらせたのは、藤田だ。

出来ればこの場にいて欲しかった。「この大会は父親が、毎年のように来て、僕のプレーに毎日ついて歩いていたのが2日になり、1日になり、ハーフになり、そしてとうとうコースにも来れなくなりました」。観戦に来るなり倒れて医務室に運ばれたのは一昨年大会。以来、心筋梗塞や脳梗塞の症状に大事を取って、「いつ何が起きてもおかしくない」と、今は息子の勇姿ももっぱら自宅でテレビ観戦。
それだけに、放映時間も押したプレーオフ5ホールは長すぎた。もっと早く決めるべきだったと後悔しきりで「最後まで、映っているかが気がかりです」。父親に付き合いテレビにかじりついているであろう母。「昨日の母親のすき焼きで勝てたのかな」と泣きながら、一人息子の精一杯の感謝の言葉も放映時間に間に合っていればいいのだが。

今季2勝目で、賞金ランクは2位に浮上。といって一昨年に続く2度目の賞金王を目指すというのは、「それは僕には荷が重い」。本人は逃げ腰でも45歳に注がれる羨望の眼差しは、年々増すばかりだ。近頃はベテラン、若手問わず何かにつけて、口にするのが藤田の名前であり「自分も藤田さんのように」と、後に続こうとする選手が引きも切らない。
今年の大会テーマの「大壁粉砕(たいへきふんさい)」とは、特別協賛社のアールズエバーラスティングの社訓でもある。同社の石村良平・代表取締役社長によると、「いくつもの壁に出会いながらもそれをただ超えるのではなく粉砕して乗り越える。そうすれば後に続く者たちに一筋の道が作られる」。

練習の虫は相変わらずだが、今年は春から左肩の痛みに球数を減らさざるをえなかったり、この日も本人にはとうてい納得できるゴルフの内容でなくても勝てたり、数年前はそんな自分が許せなかったものだが「今はそういうこともある」と新たな境地で勝ち取ったツアー通算17勝目だ。「ゴルフは必ずしもやったらやっただけではないし、今はゴルフに対する思いの変動期。これまでよりゴルフへの入り込み方がゆるくなったいま、考え方が変わったことで、またさらに上に行けるチャンスを頂いているような気がします」。
ぶち破るといった荒々しさこそないが、もがき苦しみながらもコツコツと、静かに確実に壁を壊しながら我が道を切り拓いていく。藤田なりの「大壁粉砕」である。                                                                                                                                                                                       
  • 「僕は何もしていない・・・。ずっとフェアウェイを捉えてチャンスにつけていたのはリャンさん。完全に僕のほうが分が悪かったのに・・・」
  • 「僕に凄くたくさんの声をかけていただいて、ありがたかった」
  • 宮本(左)や師匠の芹澤の優勝を見て泣いたことはあるが・・・
  • 「自分の優勝で泣いたのは、この17勝目が初めてです」

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