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東建ホームメイトカップ 2011

片山晋呉も首位に

そしてこの人が、再び主役の座を取り戻しにかかった。過去5度の賞金王の片山晋呉だ。誰もが苦しむ高速グリーンも、この男にかかればなんのその。スタートの10番で4メートルのバーディを奪うと、12番で圧巻のイーグルだ。
240ヤードの第2打を、7番ウッドで8メートルに乗せると、開幕から握った長尺パターでみごとに決めた。
危なげないゴルフで、貫禄を示した。この日午後スタートは、充実しきった笑顔に眩しい西日が降り注ぎ、確かな復活を予感させた。

永久シード権が与えられるツアー通算25勝を挙げたのは、2008年。その翌年のマスターズで日本人最高の4位につけて、燃え尽きた。
幼いころから描いてきた夢を、叶え尽くして目標を見失った。
あれほどゴルフ一筋に打ち込んできた男が、「何を目指してやればいいのか。コースに来るのも嫌な日がある」と、苦しそうに打ち明けたこともある。

たまに上位に来ても、かつての常勝ムードは陰をひそめ、2009年には初優勝の98年から続いてきた連続優勝記録もついに途切れた。
それでもあのころの片山は「勝てなくても全然悔しくない」と、力無く言ったものである。

今年、マスターズの出場が途切れたのは2004年以来。その開催中に届いたのは、オーガスタナショナルゴルフクラブのメンバーからのEメール。
「日本にいる場合じゃない。早くここに戻って来い」。
それと相まって本人も、テレビ観戦するにつけてつくづくと感じたのは「ゴルフは見るものじゃなくて、やるもの」。

若手らと一緒に汗を流した50日にも及んだこのオフの宮崎合宿。
「見本になる、という気持ちにまではまだいかないけれど。しっかりゴルフをしなくちゃ、と思わせられた」。
ひょんなことから、今年からまた再タッグを組むことになった、プロキャディの大溝雅教さんの存在も大きい。

2000年に、片山を初の賞金王へと導いた大溝さんは、それから5勝をアシストしたあと女子ツアーに“転職”。数々の経験と勝ち星を重ね、再び片山のもとに戻ってきた。オフ合宿にも参加した大溝さんは、11年前と今とを比べて「がむしゃらさながない。もっと欲を出してやって下さい」と、痛いところを突いてきた。

このたびの大震災では、茨城県筑西市(旧・下館市)にあった生家が奪われた。屋根が半分崩れ落ち、壁が倒れた。被災後に、初めて現場を見に行ったのは、先週だ。「処分するしかなかった。今日にも解体して、更地になっていると思う」。
幼い頃、数々の目標を大きく書いて、天井に貼り付けた勉強部屋。パーシモン時代から、1000本以上にものぼるクラブのコレクションも、どうにか取り出せたのは10本程度だった。38年間の思い出が、家もろとも消えてしまったような寂しさ。
「でも、僕よりももっともっと、つらい思いをしている人たちがたくさんいる」。
その思いが、片山を奮い立たせる。
「プレーで勇気づけるとかよくいうけれど、それは見た方が感じることだから、そういうことを言葉で表現するのはなかなか難しいものがある」。

それでも、片山が震災直後に自らのブログで募金を募るなど、被災地を思って行動を起こすことは出来る。
「この1ヶ月間は、やれることをやろうとちっちゃいことにも取り組んで来たけれど。まだまだ足りないし、これからもそういう取り組みには積極的に参加していきたい。そういう気持ちを長く持ち続けることが、大事なんだ、と」。

今までと変わらぬ一球入魂の全力プレーの最中にも、被災地を思いやり、常に寄り添う気持ちは忘れないつもりだ。

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