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<昨年大会VTR> 「よい報告がしたかった…」恩師への追悼V

そして、優勝インタビューで最後にこの人のことに話が及ぶと、とうとう堪えきれず に湯原は泣いた。
「学生時代から、これまで、ほんとうに、世話になった人。…今週、なんとかよい報 告をし たくて…」最後のほうは、もう、声にならなかった。
大会初日に飛び込んできた、恩師・日大ゴルフ部監督の竹田昭夫さんの訃報。4年時 には、 キャプテンを務め、卒業後も親交の厚かった湯原は、その死を悼み、この日最終日、 腰位置 に喪章をつけてプレーした。それは、椎間板ヘルニアを、患った箇所。湯原がショッ トを放 つたび、腰をそっとかばうように、黒いリボンは、揺れていた。
毎年、竹田監督から届く年賀状には、「年間、最低2勝!」との、書き込みが必ず あった。
その言葉を支えに、苦しい日々も乗り越えてきた。どんなにつらいときでも、夢を忘 れない 生き方は、監督から、教わった。
「来週のお葬式で、この優勝を、報告できる。きっと喜んでくれるはず。ここしばら くは、ずっと、監督ののぞむとおりの活躍ができていなかったから・・・」。
ヘルニアから復帰した翌年、湯原は、さらに大きな目標をたてている。
それは、5年後の米シニアツアーへの参戦。
「いつでも心の火を、消さないために・・・。いくつになっても大きな目標を、ずっ と持ちつづけていたいから」
それはきっと、亡き監督の願いでもある。