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マンシングウェアオープンKSBカップ 2005

藤田寛之「いつか、認められる日が来る」

2打差首位からスタートしたこの日最終日は、「怖くて怖くて、たまらなかった」と振り返る。
前日3日目。ふいにショットが、左右に散らばりはじめた。
右に行けば、右に行くのを怖がって左に曲げる。左に行けば、今度はその逆。ホールアウト後の練習で、解決策を懸命に模索したが結局、修正しきれなかった。

翌朝の練習場でも依然として、ショットは不安定なまま。
予選2日間で15アンダーを積み上げたときの自信はすっかり消えうせ、ほとんど最終ホールまで「生きた心地がしなかった」。
大量リードがあったからこそ、のプレッシャー。
やはり先週の日本プロ。初日首位でスタートしながら勝利を逃した、苦い記憶がよみがえる。

「今週も、勝って当たり前の状況で、自分の精神力を保つので一杯一杯」。
そんな極度の不安を抱えながら、雨降りしきる18ホールを戦い抜いた。

完全優勝を支えたのは父親としての自覚と、「無理だ、と思ってしまう自分を、どうにか土俵際で食い止めよう」という強い決意だ。

4番で3パットのボギーを打って、高山とクレイグ・ジョーンズに並ばれても焦らず、6番から3連続バーディを決めて、再びリードを広げた。懸命に、パーを拾った。

最後の試練は17番だった。
懸念していたショットの不調が、顕著に出た。
左右にバンカーが待ち受けるパー3。特に右側は、168センチの藤田の身長の2倍はあろうかという高いアゴ。
「右に行きたくない、と思うあまりに、左にも行かせたくない」。
そんな気の迷いが、4アイアンでのティショットに響いた。「当たりが薄く」右のバンカー奥に打ち込んだ。
対して、3打差2位の高山は、2メートルのバーディチャンス。
「バーディ、ダボで、逆転を覚悟した」。
絶対絶命のピンチは、得意のアプローチと好調のパッティングが支えた。
思い切って打ち出したバンカーショットを5メートルに寄せ、わずかなスライスラインを読みきった。3打のリードを守りきった。

女子ツアーは、宮里藍選手がプレーオフの末に2週連続Vをなしとげた。
優勝インタビューで、そのニュースを伝え聞くなり藤田は思わず頭を抱えた。「やべえなあ・・・」。
また、話題を持っていかれる。
だがその一方で、自分も精一杯に戦い抜いたという強い充実感もある。

「ゴルフの中身は負けてないと思う。必ず、男子も認められる日がくる」。
その日を信じてまた、“小さなバイキング”はコツコツと練習をつむ。

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