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フジサンケイクラシック 2023

「僕は中野麟太朗。日本アマはただの肩書き」怪物コースでトップアマの飛躍

初日の第1組で戻ってきたアマチュアが、プロも手こずる怪物コースでいち早く「67」を記録し、初日のプレー終了間際まで首位グループに居座った。



富士桜は、特にインコースでスタートから難ホールが続く。
@中野麟太朗(なかの・りんたろう)さんがこの日のインスタートで、ティオフ前に立てたプランは「前半耐えて、後半で獲る。フェアウェイキープを一番大事に、チャンスがきたところを獲るしかできない」。


堅実ゴルフを誓いながらも内心では「でも、すぐ崩壊するんだろうな・・・」。

19歳の見立ては、良い方に崩れた。


15番で「3パットするんじゃないか、って」と、こわごわ打った10メートルの下りスライスラインが、急スピードに乗ってカップイン。この日最初のバーディが来た。


そのまま1アンダーでターンして、ボギーは3メートルを逃した1番だけ。

「ショットの調子も、パットも全部良かった。ピンチもいい感じでリカバリーすることができた。本当にプラン通り行っちゃうんだ」と、6番から本人も目を剥く3連続バーディが来た。


「小学時代から、ジュニアスクールで20回以上回って、コースは知っているけどアンダーで回れたのは1度くらい」という富士桜。

「出来すぎ」と、185センチ余の長身ものけぞる3アンダーフィニッシュに、「モンスターコースをアンダーで回れたのは嬉しいこと」と、達成感で一杯だ。



親子断絶の危機も乗り越えた。
「友達にキャディを頼もうと思ったけど合宿中で。連れてこれなくて、お父さんになっちゃいました」と、きゅうきょ駆り出された父・恵太さんは初キャディで息子の早足についていくので四苦八苦。

「もうろうとしていたので・・・」と、6番ホールで競技委員に届けられた50度と54度のウェッジを、父はいったいどこに忘れたか。

「確か3番で50度を打ちました。立てかけておきましたけどそこですかね・・・」と回想する息子が、忘れ物を取り返してすぐ6番バーディで使用したクラブは幸い58度だった。

「なくてもよかったかな?」と、笑い話にしてくれた息子にお父さんはひそかに安堵。


「親子の縁が切れる危機でした」と、愉快に語る恵太さんと台湾人の母キャロルさんの間に生まれた。

一人息子も、トイレに積まれた恵太さんの愛読漫画「あした天気になあれ」を手に取りゴルフに開眼。8歳から始めた。


中高一貫の明大中野時代は「中学生より飛ばない非力なゴルファーとして有名だった」(恵太さん)という息子が、今や300ヤードを誇るのは、坂詰和久コーチとの大きな出会い。


麟太朗さんの左手首は、〝撓屈〟といって、関節を親指方向に曲げる動き、いわゆるコックが上手くできない特性を持つことが分かった。

そのための変則スイングが悩みだったが「打ちたいように打てばいい」と、坂詰コーチに言われて一気に解消。

歴代世界王者のジョン・ラームを好きな選手にあげるのは、「自分と似ているから。こんなスイングでも世界1位になれる」という理由から。
そこから自信と実績が一気に加速し、今年はなんといっても6月の「日本アマ」だが、「それはただの肩書き。僕は中野麟太朗だってだけ」と、成功や失敗から謙虚に学びとることを忘れず、急成長まっただ中だ。


明大中野から、エスカレーターを蹴ってあえて早稲田のAO入学に挑戦したのも、「自分に必要なのは何かな」と、将来を見据えてのこと。

在籍するスポーツ科学部のトレーナーコースはたとえ試合であっても公欠できず、容赦なく欠席扱いになってしまう。

「今季もギリギリの感じで文武両道しました」と、全力で打ち込み、来る9月5日に前期単位取得の結果発表を控える。


その直前に、この夏最後の大一番だ。

「どうせ午後組の方がいいスコアで上がってくると思うので」と、プレー後に立てた見立てもまた、いい方に外れて首位とわずかに1差の2位タイ。
「明日からも気負わず、コースと戦って行こうかな、と思います」。


アカデミーの4期生として指導を受けるジャンボ尾崎にかけられた言葉は「階段を1個1個のぼっていけば、プロでも大成できる」。

「太朗」に日本人のアイデンティティと、平和な世の中にあらわれるという伝説の動物の一文字に願いをこめお父さんが命名した。

昨年の蟬川泰果(せみかわ・たいが)以来史上6人目(7度目)のアマVへ。
麟太朗がくる。


クラブはくれぐれもお忘れなく・・・

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