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僕らのツアー選手権 / 片山晋呉の選手権

現在、6人いる中でも、もっとも若い永久シード選手も、宍戸で号泣した。
第8回大会を制した片山晋呉。

前年の06年に、3年連続4度目の賞金王に輝いた。
02年には日本ゴルフシリーズJTカップ、03年には日本プロ、05年には日本オープンの”タイトル3冠”と、次々と偉業をなしとげ迎えた07年の「ツアー選手権」。

現存の”日本タイトル”全制覇は自身の悲願でもあった。
「『選手権』で優勝がないなんて、そんなの本物じゃない」と、切実な思いで難コースと向き合った。

大会2日目の6月28日は、最愛の父・太平さんを肝臓がんで亡くしてからちょうど10年目の命日だった。

一度も息子の勝利を見ることなく逝った父。
「人より体の小さな僕が、勝つために出来ることは何か。工夫を凝らし、自分だけのやり方を見つける能力。そして、それを信じてやり続ける力」。
片山が、自身の強さを聞かれて当時、よく口にしたこの言葉は、太平さんの遺言でもあった。

逝去直後に、選手生命の危機すらあった椎間板ヘルニアを発症するなど、スポーツ選手としては、恵まれない息子の体力を最後まで気にしながら旅立った父。

開幕前日に、家族で墓前に手を合わせて、大会に臨んだ。
最終日の1番ホールでチップインイーグルを奪うなど、一時は4差つけても、2位の竹本直哉はしぶとかった。

「ゴルフは格闘技」と確信した死闘は途中、熱中症のような症状も出て、本当に苦しかった。
試練を乗り切り、迎えた最終ホールをパーで逃げ切り咆哮した。

そして天を仰いで涙。
「絶対に見ていてくれる」。
父親を思って歯を食いしばり、とめどもなく泣いた。

これまでのツアー通算31勝の中でも片山が、あれだけ涙を流した試合もそうなかったと思うが「そうでしたっけ…。もう、忘れちゃいましたよ」と照れ隠し。
「何年前? もう13年…。コースも難しくて、展開も凄くて、国内のメジャー4大会制覇して。父親のこともあったし相当に嬉しかったんでしょうね」。

その翌08年には、再び「日本オープン」を制して通算25勝の永久シード入り。同年に、5度目の賞金王に輝いた。
09年4月のマスターズでは、4位に入った。
16年のリオ五輪では、日本代表をつとめるなど、数々の伝説を紡ぎ続けるレジェンドにとっての「ツアー選手権」とは……?

もう一度、獲りたいタイトル。日本シリーズで2勝、日本プロで2勝、日本オープンも2勝。まだ1勝は『選手権』だけだから」。

宍戸でもう1勝できたらコンプリート。
今年47歳の求道者が、いまだ貪欲に追い求めているタイトル、それが「ツアー選手権」だ。

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