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僕らのツアー選手権 / 乙野圭司グリーンキーパーの選手権

新たな勝者の輩出を見届け、スタッフ皆で安堵の笑顔を見合わせ、握手で互いをねぎらい、無事の開催を喜び合っているころ。
それに浸る間もなくもう来年のコースのことで、みな頭が一杯になっているころでもある。
乙野圭司・グリーンキーパーが、森ビルグループの「宍戸国際ゴルフ倶楽部」に入社したのは昭和53年。
「高卒で入りましたので、もう30年以上になります」。
そして宍戸ヒルズカントリークラブで「選手権」が始まったのは、第4回大会の03年から。
以来、「選手権」のことを、考えない日はない。
開催初年度から、さらなるクオリティの向上を目指して、コースの全面改修や、改良に取り組んできたが「毎年あれやっとけば、これやっとけばと、必ずどこか出てくる。毎年、大会が終わった瞬間からみんなで、反省と課題の毎日です」。
「選手権」は、その年のツアープレーヤーNO.1を決める大会だ。その舞台作りのために、加納ら競技委員や、JGTOディレクターからの要望は、時に乙野キーパーらの想像を超えて「これで良かったと思ったことは一度もありません。ひとことで言ったら、終わりがない」。格闘の日々。
今年の開催は、あいにく順延された。
「自分たちが一生懸命作ってきたコースで選手のみなさんのドラマが生まれ、たくさんのお客さんがそれを見て、よかったと言ってくださる。その喜びが今週、なかったのはやっぱり寂しいですが、今年は開催されなかったからといって、私どもが取り組まなければいけないことが、ないわけはありません。むしろやるべきことばかりです」と、乙野さんは言う。
今年はJGTOと、よりギャラリーのみなさんが観戦しやすいコース作りをめざして、雑木を思い切って伐採したり、改良を重ねていたそうで、開催が1年延びたことで、むしろ、さらなる環境作りに取り組む時間が余分にできた、と前向きにとらえる。
本来の開催最終日だった6月7日を節目に「明日からまた、来年に向けてスタートですね」と、乙野さん。
朝起きて、すぐにコースのことを考え、夜寝る前にもまたコースのことを思う。
「ああ、あそこをこうしてみたらどうか、とか…」。
宍戸に大会が移ってきてからの18年間。そうやって、常に大会と共に歩んでこられた。
乙野圭司グリーンキーパーにとって「ツアー選手権」とは?
「真っ先に浮かんだのは『人生』という言葉でしょうか。僕らが『選手権』のことを、考えない日は今まで1日もありませんでしたので…」。
今までも、またこれからも、人生はいつも「選手権」と共にある。
今年の開催週は、選手の熱気もギャラリーの歓声もないが、たとえそんな年でも宍戸から、乙野さんたちの情熱が消えることはない。









