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藤田寛之が唯一のアンダーパー(全英オープン初日)

「本当に嬉しかった。忘れられない」と、さすがの46歳も興奮を隠しきれなかった。17番で劇的パーセーブを見せた。グリーン右を横切る道路と、石の壁の間のラフに止まった4打目のアプローチは「ラッキーだった。芝の部分にまだあった」と、淡々と握ったのは6月の全米オープン時に作ったというバンスの少ないサンドウェッジだった。
ピンまで約10メートルのアプローチは、その先のフックラインも読み切る周到さで直接カップにねじ込んだ。
ティショットがなんと、ホテル越えというこのパー4は右にOB、左には深いラフが待ち受ける。またグリーンには奥行きがなく、この難関ホールは選手の奮闘ぶりを見る絶好スポットと、常にギャラリーが鈴なりだ。
「鳥肌ものの歓声でした」。
いつものように、九州男児はおおげさに、感情を表現したりはしないが静かに微笑み喜びと、これぞメジャーの充実感をかみしめた。
昨年の賞金ランキング2位の資格で得た5年連続6度目の出場権は、しかし初の賞金王に輝いた2012年の頃ほどには、しゃかりきに向かっていけない。
今季は日本で9試合中5戦で予選落ちを記録しており、先週は新規のミュゼプラチナムオープンにも強行軍で出場しながらまた週末も残れずに、不安を抱えたまま聖地にやってきた。
「今の状況ではやってやろう、という気持ちにはなれない」。
この日も、後半から強烈なアゲンストの風に、立ち向かって行く気にもなれない。「こんな風の中でも以前なら、もう20ヤードくらいは飛ばさないと恥ずかしいぞというのがあったけど。今はまったくそれがない。250ヤードしか行かないけれど、今の自分なら、しょうがないと思ってやっている」。
17番は、そもそも3打目のミスショットにも、良い意味で開き直れる。「今ある自分で臨むしかない」という諦観が、難条件の中で藤田を1アンダーで回ってこさせた。
「以前の自分なら14番のボギーも、3打目の5番アイアンをダフったとか」。ミスした自分が許されず、自ら厳しく追い込んだ。それが当時の原動力でもあった。
「でも今なら、今日のこの風の中でボギーひとつで抑えることが出来た、と。特に後半は、今の自分にはこれ以上のゴルフは出来ない。100点満点をあげられる」。
自分への、程よい甘さが上々のスタートにつながった。
リンクスコースの攻略法も変わった。「最初の2回くらいは、わけも分からずとにかくドライバーで打っていた」。もはや、メジャーでの藤田のルーティンになっていると言ってもいい。今週も、渡英前にメールで“予約”をしておいた。練習日に尊敬するジム・フューリクと回るようになり、「自分では、考えてもいなかった形で刻むという選択を学んでいる。ジムに毎回、付き合ってもらっているのが大きいと思う」。
世界ランカーと育んできた友情もまた、ベテランがこつこつと構築してきた財産である。
ふと苦笑いで「ジムにしてみれば、周りから“なんでいつもあいつと回ってんだ”とか」。そんな冷やかしを受けているかもしれず、「ジムには申し訳ないのですが」と勝手な想像で恐縮しきりも、毎回快く承諾のメールを返してくれる。フューリクにも感謝しきりのこの日の藤田の71。
「明日も今の自分に出来るゴルフをしていきます」と気負いはない。
















