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ジャパンゴルフツアー選手会が東北3県に福祉車両を寄贈(3月11日)

池田勇太が今年3期目の選手会長に就任した「ジャパンゴルフツアー選手会」では2012年より震災復興支援として、選手たちが獲得した賞金の中から1%(およそ3000万円)を、チャリティ金として寄贈してきた。
「最初はそのお金をただポン・・・と、お渡しするだけだったけど。今回は初めて、はっきりとした形になった」。今年はこれまでのチャリティ金をもとに、軽自動車を購入して岩手と宮城、福島の東北3県の福祉協議会を通じて、それぞれ10の市町村に寄贈。計30台を福祉車両として活用していただくことになった。
その寄贈式を、11日から2日間の日程で行うことになり、選手みんなの思いを背負って池田はやってきた。
3月も、そろそろもう半ばというのに真冬に逆戻りしたような荒天を見上げながらつぶやく。「あれから、今日で4年経つのか・・・」。各地で追悼式が行われたこの日が寄贈の日に決まったのは、本当に偶然だった。
「最初から誰も、無理にこの日にしようと思っていたわけじゃなかった」。それでも、いくつかのご縁が重なりけっきょく寄贈式が、11日に決定したとき池田は「やはりこれは、そういうことなんだろう」と思ったという。
改めて、あの日をじっくりと思い返してみるチャンスを与えられたと、池田は感じた。
あの日。母校の東北福祉大時代を含めて5年の年日を過ごした第二の故郷が、未曾有の被害に見舞われた2011年の3月11日。池田はアメリカにいた。
世界ゴルフ選手権「キャデラック選手権」の会場で、悲報を受けた池田はその場で出場を取りやめて、すぐにも帰国するべきか、迷いに迷っていた。
しかし、翌月には2年連続でのマスターズの出場も控えており、周囲のサポートもあって、そのまま米国にとどまり調整を続けることに決めた。
「俺には、ここで活躍する姿を見せることしか届けられるものはない」。それ以外にいま自分に出来ることは何もない。当時はそう決めてかかっていたが、「俺はあのとき間違った決断を下したと、今ではたいへん後悔している」と、池田は言う。
「あのときは、本当なら1日でも早く帰って日本で、自分の故郷で、起きてはならないことが起きてしまったという現実を、自分のこの目で見て、一番大変なときに、被害を受けた方々のそばにいて、その声を自分の耳で聞いて、いま自分が本当にすべきことはなんなのかを日本で真剣に考えてみるべきだった」。
年々、その思いは強くなり「二度と同じ過ちは繰り返したくない」。その決意を改めて刻んだあれから4回目の3月11日。
宮古市、陸前高田市、大船渡市、岩手町、一戸町、軽米町、住田町、葛巻町、洋野町、山田町・・・・・・。この日、岩手に寄贈した10台の軽車両には、ジャパンゴルフツアーのロゴマークとともに、各市町村の名前を入れてある。「選手会を代表して今日、この日を、この場所で迎えることが出来て、本当に良かったと思います。私にとっても特別な1日になりました」。
お忙しい中を、寄贈式に参加してくださった各市町村の代表の方々ひとりひとりと握手を交わしながら、池田は思いを噛みしめた。
かけがえのない何かを亡くし、いまだ癒えない傷を抱えながらなお、池田にこうして「ありがとう」と言って、心からの笑顔を向けて下さる大勢の方々の思いに触れることが出来て、本当に良かった。
これからこの車が、どんな大雪も逞しくかき分けて、岩手の町を走っているところを想像しただけで、池田の心もなんだか温かくなってくるような気がする。選手会で続けてきた復興支援への思いが、いまこうして初めてやっと具体的な形になったことで、ようやく新たな一歩を踏み出せたような思いがして池田は嬉しい。
「ありがとうと申し上げたいのは、私たちのほうです」。
明日(12日)は福島、そしていよいよ第二の故郷、宮城へ。各地で灯る鎮魂のあかりを見つめながら、次の寄贈先へ向かう道中にも「また、えらく雪が降ってきたよ」。4年前の後悔もつのるばかりだが、せめて今の精一杯の気持ちを届けにいく。


社会福祉法人岩手県社会福祉協議会の副会長、笠水上譲さま(左)より心のこもった感謝の言葉をいただき池田(右から2番目)は感無量・・・ 















