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松山英樹は6位タイに(全英オープン最終日)

クラブハウスをバックに最後のバーディトライは・・・
最終日のミュアフィールドはリンクスコースらしく、どんよりと曇天模様も、21歳の心はすっきりと、晴れ渡っていた。1番ティの両サイドにそびえる満員のギャラリースタンド。松山の頭上にこんな声が降り注ぐ。「スピードアップ!!」。皮肉か? 純粋な励ましか。
どちらであっても、「なかなか、ああいうことはないので。楽しかった」と余裕の笑顔で受け止めることも出来た。

また、それ以上に多かったのが「松山選手、頑張れ!」との日本語の声。「ここには日本人のギャラリーしかいないのか?」と、つい疑ってしまうくらいに、本当にたくさんの応援が心にしみた。「嬉しかったです。あの声援があったので、今日は最後まで気持ちを切らさず頑張ることが出来ました」と、あんなことがあった翌日はなおさら、感謝せずにはいられなかった。

スロープレーで1打罰を受けたのは、前日3日目。「意味が分からない」とそこから残りの1.5ホールは、怒りにまかせてのプレーになってしまった。しかし、これもひとつの才能といってもいい、無類の切り替えの速さで「昨日のことはしょうがない」。翌朝にはきっぱりと忘れて、それよりも「今日はいくつ縮めればチャンスがあるのか?」。
あんなことがあった翌日でもさっぱりした心持ちで、ただ上だけを見てスタートティに立った。

ラウンド中は、常にスコアボードを見ながら、「3アンダーか4アンダーを出せばチャンスがある」と、果敢に挑みながらも前日の教訓を生かし、前の組にも離されないように、プレーの速さに気を配ることも忘れなかった。

イーブンパーで折り返して、後半は13番のパー3で、下から6メートルのバーディチャンス。悩み続けたパッティングも、この日は距離感も完璧に通算2オーバーにして、一時はリーダーに3打差まで迫って、ますます燃えた。

それだけに「17と18番で決めていれば、プレーオフの可能性もあった」と悔しがる。「スライスか、フックか」。決めきれずに、打った17番の絶好のバーディチャンス。「まっすぐ打てば、どっちに切れても入るだろう」と、大胆に打った2.5メートルは「結果的にスライスだった」と、勢い余ってカップに蹴られた。

いよいよ18番は、赤い屋根のクラブハウスをバックに、右奥から8メートルのバーディトライも、下りのフックは本当に、あともうひと転がりだった。上がって報道陣の質問に答えながらも取材エリアのモニターで、ちらちらと優勝争いが気にかかった。

142回の全英オープンを制したのは、予選ラウンドで回ったフィル・ミケルソン。先週のスコティッシュオープンに続いて、イギリスでの2週連続Vは、この伝統のメジャーは初制覇だ。
初日に感じたのは「ショットは確かに飛ぶけど、曲がっていた。世界のトップも曲がるんだ、と」。
松山にとって、その点ではさほど遠い存在ではなくなったけれど、特にグリーン上ではやっぱり格の違いを見せつけられた。「入れるんだという気迫。3パットや4パットをしても、そのあとしっかりとストロークして決めてくる」。松山にとっても夢のメジャー制覇の必須条件を、嫌というほど思い知らされ「まだまだ練習しないといけません」。

先月の全米オープンに続くメジャーで、しかもルーキーが2試合連続のトップ10は、史上初。日本が誇る規格外の新人は、しかし満足などしていない。「もっと上に行きたかった。悔しい気持ちのほうが強い」。このメジャー2戦で確かに少し、世界との差は「縮まった」。そんなような気がしても、「英語も含めて、まだまだ勉強しなくちゃいけません」と、課題ばかりが思いつく。

最終組の7つ前で上がってきた最終ホールは、確かにあの巨大なギャラリースタンドから降り注いでくる大歓声は、「凄かった」と感動したが、それにも無邪気に浸る気持ちにもなれない。ミケルソンの雄志を胸に刻んだ。「次に来るときは、トップの状態であそこを歩きたい気持ちが強くなりました」。ミケルソンの雄志に未来の自分の姿を重ねた。

※この6位で松山は、日本円にして2243万520円にあたる賞金16万3333ポンドを獲得。日本ツアーでは、シーズン終了後に海外メジャーでの獲得賞金を加算することになっており、松山の現在の獲得賞金は先の全米オープンも含めてデビューから10試合で、実質1億2183万5427円。当時17歳の石川遼が、2008年に23試合で記録した最速の1億円超えを塗り替えた。
  • こちらはスタートの1番。「スピードアップ!」との声援を受けて思わずニンマリ
  • 13番のバーディで、首位と3打差まで詰め寄るも・・・
  • 名物の18番。いつかチャンピオンとして、ここを歩く日も近い?!

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