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チカラを合わせて日本の未来へ。

過酷な運命を経験しながらも、なお明るく元気な演奏で開会式を盛り上げてくれた石巻好文館高校・吹奏楽部のみなさん。
シニアと、女子と男子の対抗戦「Hitachi 3Tours Championship(日立3ツアーズ選手権)」はスタート前に、出場選手が一同に介して行われる恒例の開会セレモニー。今年は元気いっぱいの演奏で、その舞台はいっそう華やかなものとなった。
宮城県石巻市の「石巻好文館高校」の吹奏楽部のみなさんも、3月11日の大震災で大きな被害を受けた。

「私たちは、言葉では言い尽くせないほどの経験をしました」とは、部長の渡辺里菜さん。

大津波は校舎の中まで押し寄せて、膝の上まで水に浸かった。放課後の学校は、生徒1人が犠牲となった。部員の1人は、最愛の母を亡くした。
何日も校舎に取り残された生徒も多く、渡辺さんも家族と連絡が取れないまま、5日間も閉じ込められたという。

あまりの被害の大きさに、いったい自分たちの身に何が起きているのか。それすらも分からないまま、あっという間に1ヶ月が過ぎていったという。

震災の日、ちょうど部活動中だった吹奏楽部のみなさんは、手に手に大切な楽器を持って、高台に逃げた。しかし、やむなく置き去りにするしかなかった楽器は水没し、すぐに水道水で洗えば助かるとは分かっていても、肝心の水が出ない。
飲み水さえ確保するのが困難という状況の中で、無残に錆びていく楽器たちをただ、見ているしかない無念さ。

ようやく部員30人が揃って演奏出来たのは、4月ももう半ばを過ぎたころだった。この先も活動していけるのかという不安。「そして練習が出来るという幸せ。それらを同時に感じることになりました」と、渡辺さんは振り返る。

「全国各地から楽器をいただいたり、演奏する機会を与えていただいたりと、ご支援くださった方々には感謝してもし尽くせない思いで一杯です」と、あれほどの恐怖と傷を背負ってもなお、そんなふうに渡辺さんは言うのだ。

今も部員の半数は仮住まいから学校に通い、不便な生活が続いている。いまなお続く余震は、そのたびに校舎のあちこちで悲鳴があがるという。

「まだまだ万全の体勢とはいきません。だけど、そんな私たちだからこそ、出来る音楽がある」。
そんな渡辺さんたちの思いはどこか、シニアと、女子と、男子ツアーの面々と、重なる部分があるような気がする。

もちろん、被災された渡辺さんたちとは境遇も立場も全然違って、3ツアーの面々は、ただただその甚大な被害に呆然とするばかりだった。
「何かしたい」。でも、そのためには自分たちはあまりに無力で、何ひとつ被災地の力になれる気がしない。「いま、ゴルフなんかやっていていいのか」と、永遠に答えがでそうにもない自問自答の中で、みなが行き着いたのが結局は、「ゴルフで何かを伝えて行くしかない」という思いだった。
「プロゴルファーだからこそ、出来ること。伝えられる何かがきっとあるはずだ」と。

女子のLPGAは、「心をひとつに。」とのスローガンを打った。男子のJGTOもまた、「今、日本のために。」と、その思いで選手たちは心をひとつにした。

そして、この最強ツアー決定戦も、例年どおり恵まれない子、難病に苦しむ子、また地元ジュニアの育成を支えていくことに加えて、今年は東日本大震災で被害を受けた子供たちのために、「チカラをあわせて日本の未来へ。」との新たなスローガンを掲げて、入場券収入と優勝賞金3000万円と、2位の1500万円、3位は1200万円の総額5700万円の一部を、被災地の復興支援にもあてることに決めた。

「石巻好文館高校」の吹奏楽部のみなさんを招待したのもその一環だった。ブラスバンドの熱演後はすぐに、コースに散らばって3団体の精鋭が繰り広げる熱戦を観戦した部員のみなさん。
「今日は本当に楽しかったです」と渡辺さんも言ってくれたように、みんなが少しでも、良い思い出を持ち帰ってくれたのではないかと想像するにつけて、シニアと女子と、男子の面々にはそれが何よりも喜ばしいことだった。

  • 3ツアーズの面々が熱戦を繰り広げる隣のアウトコースで盛大に行われたジュニアレッスン会。JGTOからは河野晃一郎と小林正則が講師としてジュニア育成に一役買った。
  • 表彰式で優勝チームに花束贈呈をしてくれた子に、横峯さくら選手が愛情こもったハグを
  • 競技中も、積極的に子供たちの輪の中に入っていった出場選手たち
  • 最後はサインを求める子供たちでもみくちゃに!!