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フジサンケイクラシック 2006

鹿志村光一「平常心でいきます」

インコースの18番で、ピンチをしのいだ。右のバンカーから打った第2打は、グリーン左手前のクリークへ。ボール自体は無事だったが、ピンを向いてスタンスすると、右足が水に浸かる。
川をまたいでのスタンスも試みてみたが、とてもまともに打てる状況ではない。
「・・・脱ぐしかないな」。
迷うことなくスパイクを脱いで、生まれて初めてのウォーターショットに挑戦。
「かなり冷たかったけど。これで冷静になれました」。
難なくピン3メートルにつけて、前半の4バーディを守った。

今月22日に行われた今大会の主催者推薦選考会を4位タイで通過して、今季初出場のトーナメントでの首位タイの好スタート。

ふいに訪れた好機に本人も目の色を変えているか、と思えばそうでもない。

昨年の予選会クオリファイングトーナメントは3次で失敗し、今年はチャレンジトーナメントの出場権さえない。
2004年のデビュー以来、生涯獲得賞金はまだ300万円を少し超えたところだが「まあ、まだ初日だし」と、余裕の構えなのは普段からあまり深くものごとを考えたり、悩んだりするタイプではないからだ。

仲間に良く言われる。
「いいな、お前の性格」。
「…そのへん、自分では分からないけれど。B型だからかな?」と、自己分析して笑った。

神奈川県の法政二高時代は、野球部のエース。140キロの剛速球を投げ、3年の夏に県大会のベスト4まで進んだ逸材。
「野球なら、ピンチで大声を出したりして気合でなんとかなったけど。ゴルフは気合を入れれば入れるほど空回りしたり、難しいから。明日以降も平常心を目指したい」。

いわゆる“マンデートーナメント”からのツアー優勝は、過去に3人だけ。
史上4人目の快挙のことはひとまず頭から消して、目の前の1打に専念するつもりだ。

鹿志村光一(かしむらこういち)プロフィール
1969年8月11日生まれの37歳、神奈川県出身。
地元・法政二高で、野球部のエース。140キロの剛速球を投げ、3年の夏に県大会のベスト4まで進んだが、卒業後は進路を決めかねてフリーター生活。
川崎市のスポーツクラブ『セントラルスポーツ』でインストラクターなどをしながら、生計をたてていた。
ゴルフに目覚めたのは22歳のとき。
草野球チームの先輩に誘われて行ったラウンドで、飛ばす快感に目覚めた。
「野球の2倍以上は飛ぶわけでしょう。おぉ!!と、思ってしまった」。
そして、周囲に持ち上げらるうちにいつの間にかプロの道に。
2001年にプロ転向を果たし、2004年の日本プロでデビュー。
昨年は出場優先順位を決めるファイナルQTの資格でツアーに本格参戦を果たし18試合に出場したものの、シード権は得られなかった。
しかも、QTのサードステージで失敗し、今季はツアーはおろか、チャレンジトーナメントの資格さえない。
「試合に出られないときは、レッスンとかして…。食べていくのは大変だけど。広いコースを独り占めできる。ゴルフって、贅沢ですよね!」と、苦節の人生にも暗さは微塵も感じられない。
ホームコースが、ここ山梨県のメイプルポイントゴルフクラブ。
研修生時代から馴染みが深く、応援も多い。「地元と言ってもいい」この大会でぜひ結果を残したいところだ。
家族は妻・陽子さんと1歳と7ヶ月の長男・光瑛ちゃん。
身長185センチ、80キロ。

※マンデートーナメントからの優勝者は過去に1979年の今大会の佐藤正一(昌一)と、1985年の三菱ギャラントーナメントのブライアン・ジョーンズと、2004年のABCチャンピオンシップの井上信の3人。後援競技では、1979年の日本国土計画サマーズの三上法夫がいる。

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